東亜研究所が柳田國男の『炭焼日記』に出てくる。
昭和19年11月5日 鏡味完二君来。東亜研究所に在り、印度のことを担当すといふ。地名の研究をするといひ、その話をきゝに也、茶一袋くれる。
鏡味は戦後も地名の研究を続けている。『日本の地名』(角川新書、昭和39年3月)によると、
わが国で神代文字というものが、一時は学界の問題とされたことがあった。しかしやがてこれはほとんど、頼りにならないものであることがわかってきた。私は「地名こそりっぱな神代文字である」ということを今まで折にふれて述べてきた。生物学・民族学・考古学などでは、それぞれの分野で、先史時代研究の成果をあげているが、地名の研究をする地名学もこの方面に貢献する見込みが十分あるのである。
「地名こそ神代文字である!」と喝破した鏡味完二。今時の若者には、「神代文字」なんて比喩は通じないかしら。
追記:かつてベ平連の人の本にはまっていた時期があった。今となっては時間の無駄だったなあと思う。でも、やはり合掌。
国会図書館の「雑誌記事索引」の著者名から「岡島一郎」を検索すると、『日本古書通信』の昨月号「クローズアップ(7)移転まで 」がヒット。「セドロー」、じゃなかった、「向井透史」は3件ヒット。今週末(8月3日〜5日)は、この両者の店(立石書店と古書現世)でイベントみたいだすね。→「週末は、早稲田に行こう!」