神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

堀一郎と偽史運動(その4)


助手のウェルス女史から日本にキリスト渡来伝説があることを聞いたチャーチワードが、その話を自著の何年の版から導入したのか、原書を確認する必要がある*1が、戦前チャーチワードの原書でその記述を見た人がいる。
久保木朝之助『イエスキリスト日本における生涯』(洋々社、昭和39年6月)の「はしがき」によると、

筆者は、明治四十三年(一九一〇年)三月東京憲兵隊本部の特務機関員として就職し、その後、大正二年(一九一三年)十一月朝鮮京城駐在の日本憲兵隊司令部へ転勤、同部に於ても特高勤務に従事し、主として宗教関係を査察中、当時、米人宣教師スミス氏所蔵の米人考古学者ゼチヤーチヤート氏の著書を閲読する機会を得たる際、同書中に、イエスキリストはユダヤゴルゴダの丘の棒杭に釘付けの処刑をうけた後、甦がえって日本の倭奴の国へ隠遁なしたりとの伝説あるも、その足跡証慿等不明なりとの記事あったことを記憶していたので、昭和二十三年(一九四八年)七月、海外より内地へ引揚げたる後、イエスの倭奴の国内に在りし有無を探求の結果、わが国の国土と化したるその墳墓の所在及びイエスが逝去直前に遺言を謹記したるその古文書の写しを入手し、またイエスが天空(狗)と変名して、倭奴の国内各地を遍歴行脚して住民の救恤につくされ、御年百六歳にしてついに逝去せられたる史話・其の他の証慿を蒐集し得たので、ここに本冊子を編して世の批判を仰ぎたいと存じます。


久保木が言っているイエスの遺言が書かれた「古文書」とは、もちろん竹内文献のことだね。戦前チャーチワードの原書で日本のキリスト伝説の記述を読んだ人がいたのだね。それにしても、この久保木の本を所蔵していた堀一郎は、なぜこんな本を持っていたのだろう。


追記:堀一郎の妻三千(柳田國男の三女)は、1983年4月5日に亡くなっていた。朝日新聞同月6日の夕刊に訃報あり。

*1:いわゆる「キリストの墓」が発見された昭和10年8月からチャーチワードの亡くなる11年まではあまり間はないね。