『本間久雄日記』(松柏社)の解説(平田耀子)によると、
昭和三十三年早稲田大学定年一年後、本間は実践女子大学教授となる。(略)
(略)英文科教授にはその他山田惣七、坪内章(略)がおり、本間とも親しかった英文学、比較文学の島田謹二(一九〇一−一九九三)も短期間であったが教授陣に加わった。(略)外人講師ウェルスやプライスとも交流があった。
チャーチワードの女助手フローレンス・ウェルスが本間や島田とムー大陸論議をしていたかもしれないと想像すると楽しい(んなわけ、ないわなあ)。
(参考)同日記昭和35年4月9日の条
午後一時、実践教授会出席。(略)午後、理事長の車に便乗(同乗者、理事長、ヱルス、守随、伊東諸氏)日比谷陶々亭にゆく。九時かへる。
ちなみに、ウェルス女史はコロンビア大学出身と判明。星一とは同窓ということになる。
NDL−OPACによると、何冊かの著作もあった。『武士の娘』の杉本鉞子との共著『お鏡お祖母さま』(実業之日本社、昭和16年)というのもある。杉本が世話になったというフローレンス・ミルズ・ウイルソンという女性とウェルス女史は関係があるのだろうか。