神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

チャーチワードの女助手フローレンス・ウェルス救出作戦(その1)


チャップリンの秘書が日本人だったというのも面白い話だが、ムー大陸を提唱した、というか捏造した人というべきか、チャーチワードというトンデモない人がいるが、その女助手が戦前日本に送り込まれていたというのも驚くべき話だ。


これについては、既に藤野七穂偽史と野望の陥没大陸“ムー大陸”の伝播と日本的受容」『歴史を変えた偽書』で紹介されている。同論考によると、


・チャーチワードの助手「ウエルズ女史」が昭和9年日本に派遣され、「実践高女専門部英語教授」の傍ら、日本における「ミユー遺蹟」調査を行っていたが、ほぼ完了した所で、大東亜戦になり目下抑留中(犬塚惟重『人類の母国「神国日本」』八宏会、昭和18年10月)。


・チャーチワードは「ミス・ウエルス」なる女性を数年前日本に派遣し、日本の古代文化を調査させていたが、日本研究中に帰化する志を抱き、その手続中に囚われの身となった(仲木貞一「ムー大陸とわが神代文化との関係」『神代文化』第49号、昭和18年1月)。


とある。


このウエルズ女史(仲木は「ミス・ウエルス」としている)について、その実在を確認しようと思えば外交文書を見ればいいだろうが、とりあえず『天羽英二日記』で同女史と思われる記述を見つけたので紹介しよう。

昭和17年5月30日 「ミスウヱルス」 帰化ノ件ニ就キ来訪。


    5月31日 朝 「フロレンスウヱルス」嬢 吉田嬢ト共ニ来訪「ウ」嬢帰化ノ件ニ就キ援助方申出ヅ、元司法次官皆川、星一等斡旋ストノコト。「ウヱルス」ハ米国人 子供ノ先生。


    7月12日 不在中「ミスウヱルス」吉田嬢来訪


    8月30日 東京ヨリ電話 「ミスウヱルス」帰国命令ニ接ス 一船延期方依頼


    8月31日 「ミスウヱルス」米国人帰国問題ニツキ永井柳太郎ヨリ電話 打合


    9月4日 「ミスウヱルス」ノ件ニツキ永井柳太郎ト談話 「ウヱルス」退国決心ノ由、吉田嬢より電話


    9月11日 辻村鑑(実践女子専門主事)来訪 「ミスウヱルス」ノ件。 


    9月21日 吉田嬢来訪 「ウヱルス」嬢既に収監ノ由 本国ニテ邦人逆待(ママ)報伝ハリ報復的


星一が出てきた・・・
星は前年の16年に星薬学専門学校を創設し理事長となり、この年の5月現在では衆議院議員であった。
また、皆川が例の皆川三陸5月8日参照)だったら面白いのだが、そうではなく、皆川治広のことと思われる。昭和6年12月〜9年7月司法次官、同月〜12年12月東京控訴院長、13年4月建国塾大学理事長、14年8月〜16年9月東京市教育局長。