日記オタのわしでも、知らなかった石坂洋次郎の『マヨンの煙』(集英社、1977年10月)。
石坂が昭和17年マニラ陥落後の1ヶ月後に宣伝隊員として従軍した時の日記だが、そこには次のように記されているという。
3月5日、(中略)村岡老人は南洋生活57年に及び、主として例の娘子軍の元締のような仕事をしておったという。内地の豪い高官たちと一緒に写した写真をたくさん秘蔵していた。又、罪滅ぼしに書き上げた「自伝」だという、半紙を綴じた分厚い手記を示してくれたが、[後略]
「村岡老人」とは、もちろん村岡伊平治のことだね。
これを発見したのは、寺見元恵*1。
なんと、18年も前にこんな報告があったのだね。まだ、わしが×××だったころだね。
寺見は、石坂の日記のほか、『日本外交文書』、1939年度『比律賓年鑑』、村岡と面識のある在留邦人へのインタヴューなども紹介し、「これで村岡伊平治が実在の人物でマニラ、レガスピー時代の記述に関しては、かなりの信憑性がある事が証明された」としている。
日記オタのわすでも知らぬトンデモない日記はまだまだこの世には存在するのだね。
追記:寺見によると、村岡は昭和20年九州の天草で77歳の生涯をとじたとのこと*2。村岡の『自伝』中の年譜にある没年昭和18年(推定)を踏襲した朝日新聞さん*3は、寺見論文の存在を知らなかったのだね(もっとも、あのウィキペディアでさえ没年は昭和20年としているから、ググれば正しい没年に気が付けたかも)。