先日の某紙に、どこかで見たことのあるオジサンの写真が載っていて、よくよく見ると村岡伊平治だった。講談社文庫版『村岡伊平治自伝』(以下『自伝』という。)裏表紙には、
明治時代の中頃、海外雄飛を夢みてシンガポールに渡り、女郎屋を開業。その後セレベス、フィリピンにも拡張。女を売るのも国のためと称して、日本から数多くの娘をつれだす。何人もの現地妻をもち、人喰人種トラジャ国の王妃とも結婚。日露戦争時には各地に愛国婦人会を組織−明治ナショナリズムを体して行動した村岡伊平治の破天荒な自叙伝。
とある。「文献報国」ならぬ「女郎屋報国」した人だね。
この『自伝』はトンデモない本で、矢野暢先生は、『「南進」の系譜』(中公新書、昭和50年10月)で、
このような問題点を考えてみると、『村岡伊平治自伝』を信頼に足る歴史の一次資料として位置づけることは、躊躇しないわけにはいかない。私の正直な気持をいえば、この本の文章の一行たりとも、過去の事実の検証のために用いる気にはなれない。ただ、この本を貫くある種のヒューメインな精神性は高く買えるとは思うが・・・・。
と記している。
この『自伝』はゲラゲラ笑える部分もあるのだが、読み通すのはちと難しい。南方社版も文庫版も持っているが、いまだに読み終えていない。それにしても、そもそもこの村岡なる人物が実在したことは証明されているのだろうか?
『ちくま』6月号から沖浦和光「青春の光芒−異才・高橋貞樹の生涯」が始まっていた。「この連載は、私の青春時代の回顧を「たて糸」とし、わが思想遍歴にインパクトを与えた高橋貞樹の生涯(一九〇五〜三五)を「よこ糸」として織り成される」とのこと。
追記:猫猫先生が再び裏切ったらしい。「死刑!」(笑