神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

長尾真治ではなく尾島真治だった


5月12日に言及した日ユ論同祖論の関係者、「長尾真治」は正しくは、「尾島真治」という人であった。


三村三郎の『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』によると、中山忠直が『シオン通信』*1第4号に「毒殺を計られたコト」を書き、明治41年の『福音新報』に尾島羊舟(真治)の「日本民族人種論」が掲載されていることについて言及しているという。「尾島真治」(おじまさねはる。慶応3年9月生、昭和26年6月没)であれば、キリスト教関係の本を幾つか執筆している人のようだ。


この人を調べてみたら、面白い人だとわかった。
明治29年長崎教会の牧師在任中、英国の「サーキカル・レザーチ(心理学研究会)」会員の外人との接触から「新心理学」(心霊学のことだろう)の研究に着手し、明治44年東京本郷教会に転じてからは児童心理学者田村某や福来博士等につき、研究を深め、大正3年には『三位一体新論』を執筆した人だという。「福来博士」は福来友吉として、「田村某」は田村直臣という人か?
また、中山が『CHRIST チシキ』としている雑誌は、尾島の機関誌『基督知識』(昭和6年6月創刊)が正しく、尾島の号も「羊舟」ではなく「羔舟」(こうしゅう)が正しいようだ。

*1:三村らにより昭和26年9月創刊