戦前、大蔵公望らと共に国策研究会*1を創設した矢次一夫(やつぎかずお。1899-1983)。大宅壮一は矢次を「昭和最大の怪物」と呼んだという。
その矢次が、サンカ文献『大地に生きる』の著者清水精一に出会っていた。『現代史を創る人びと(4)』(毎日新聞社、昭和47年8月)のインタヴューによると、
僕はそのほか、さらにあっちこっちの社会事業や、社会施設を見学したり、それから老人の施設や少年少女の教育・補導などのところを、かれこれ半年近く歴訪したんです。そうしたなかで、大阪の飛田遊廓というのがあって、その近所に乞食部落を作っている清水精一さんという人のことを聞いて訪ねたんです。僕はいろんな人を歴訪して教えをこうたなかでは、この人がいちばん偉いという印象を受けたことを、いまも忘れません。
(略)清水さんは京都帝大を出ているし、家は金持でね。
清水氏が乞食になった動機は、大学を出て、いろいろ人生の問題を考え、煩悶、懊悩しながら歩いていたある日、乞食のグループに出会ったので、何気なくそのあとをついて歩いているうちに、乞食の会話を聞き、悟ったというんだね。自分の人生のスタートはここからと思ったというんだ。
清水精一が京大卒とは。京大にもトンデモない人がいたのだね。と思ったが、スメラ学塾の小島威彦もそうだった。
清水について、谷川健一は荒井貢次郎との対談で次のように語っている*2が、京大卒とは言っていない。
私は清水精一の晩年に会ったことがあります。七十を越えていて、刑務所の教誨師をやっていました。(略)清水精一は明治二十一年に大阪に生まれ、家は地主だったのですが、青春時代、人生に煩悶し、京都の天竜寺で禅をまなび、また丹波の山奥で穀類を食べずに修行したりしますが、それでも悟りを開くことができず、山を下りて大阪の貧民窟に住み、ついには乞食の群に身を投じたというすこぶる変わった経歴の持ち主です。その乞食がじつはサンカの出身で、乞食の頭をチャンと呼んでいるんですね。
追記:干物女・・・20代(もしくは世間一般的に華やかな生活を送っているだろうと思われる世代)で恋愛を放棄しているような生活をしている女性のこと(「はてな」のキーワードによる)。
干物オタ・・・「女より古本」と豪語する古本オタク。蔵書は古本でメタボ状態だが、恋愛に関しては干物状態。干物女と違って、家の中でジャージ姿でゴロゴロするようなことはせず、掘り出した古本を読むか、パソコンをいじっているらしい。寂しい時は、ワインをがぶ飲みしてるという噂もある・・・