神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

トンデモ

キリスト教の日本的変容 海老名弾正・中田重治・宮崎湖処子・徳冨蘆花・巌本善治

勝本清一郎の『座談会明治文学史』での発言。 (略)明治大正時代にキリスト教思想を、日本の神道思想に妥協させる考え方の流れが一つあるわけですね。海老名弾正が、天御中主之神とエホバを同一視したり、ホーリネス教会の中田重治の日本人ユダヤ民族説だの…

 神政書院の巌本善治と三浦関造

巌本善治というと、明治女学校とか『女学雑誌』が定番であるが、大東亜トンデモ学ともちびっと関係しているみたい。近代文学研究叢書第52巻の巌本の章によると、 やがて彼は、“明道の会”とも言われる「惟神会」を通じて「真の惟神の大道を開明し、国教を確立…

 日本国語会に結集した人達

安田敏朗『金田一京助と日本語の近代』(平凡社新書)にチラリと登場した日本国語会。メンバーについては、6月12日に紹介した。 森本忠『僕の詩と真実』によると、国語国字改良運動に対抗すべく同会に集まった人には、法政大学教授の大西雅雄、国学院の松尾…

 藤澤親雄と大本教

青桃氏のコメントで「藤澤親雄と三浦関造が、昭和一ケタ大本教機関紙『昭和』に投稿していました」とあったが、藤澤については、松本健一氏も書いていた。シリーズ民間日本学者の『出口王仁三郎』(リブロポート、1986年12月)によると、 そのどれをみても、…

 宮崎滔天と太霊道 

晩年、大本教に関心を持ったり、大宇宙教の信者となった宮崎滔天は、太霊道についての文章を書いたことがある。 上村希美雄『宮崎兄弟伝 完結篇』によると、 そうした中で「お直婆さん」の神観はしぜん一家の評判となり、『大本教批判』*1は家族の手に廻し読…

 もう一つの皇道主義図書館

終戦の日だからというか、なのにというべきか、早速、並木軍平の皇道図書館*1とは別の皇道主義図書館の話。 ある図書館開館の記事によると、 此の秋に当り、吾等×××××××××××は、郷土の脚下より皇道精神を湧起せしむべく、独力万難を排して図書館を創立するに…

 甘粕正彦と謎の心霊研究協会

佐野眞一先生でも解けなかった謎をオタどんが解いた。 太霊道と心霊研究協会が出てくる『甘粕正彦乱心の曠野』の次の一節。 陸士時代のノートには宗教への強い関心も随所に表れている。(略) 特に興味を引かれるのは、太霊道という新興宗教が東京朝日新聞に…

藤澤親雄と三浦関造

藤澤親雄「「すめら世界」興国の理論」(『実業之世界』39巻4号、昭和17年4月)で面白発見。本論は、いつもの太古秘史(名前は伏せているが、竹内文献のこと)、契丹古伝、九鬼古文献やチャーチワード大佐の「ミユ大陸論」の話だが、 上海に於て皇道宣布に活…

 柳田國男と「偽史」関係者織田善雄

大塚英志氏は、『偽史としての民俗学』で柳田國男の『炭焼日記』に織田善雄なる「偽史」関係者が出てくることを紹介している。 (昭和十九年) 三月一日 水よう 午後曇 散歩を見合せる。 名古屋の織田善雄君より漬物一桶鉄道便にて。その織田君やがて訪来る…

 楢崎皐月の経歴

『大衆人事録』(大衆信用録にあらず)の昭和17年発行分は本当に優れもの。楢崎皐月が出ていた。 楢崎皐月 日本高振電気興業専務 大日本炭油工業(株)取締 淀橋区下落合一ノ五二七 [閲歴]北海道軍次の二男明治卅二年五月九日札幌市に生れ楢崎寛直の養子とな…

『没収指定図書総目録』で楽しむ

西尾幹二『GHQ焚書図書開封 米占領軍に消された戦前の日本』(徳間書店)。タイトルから予想した内容にかかわる部分が、目次をみると第1章だけと思い、読みもせずに、「買わない方がいいかも」と言ってしまった。 しかし、パラパラ見てみると、多少面白いこ…

トンデモバスター島田春雄の父翰への思い

三村竹清の日記に、 大正13年5月24日 朝 塩煎餅をもちて内田魯庵へゆく 松崎天民之たむさくてもうれる話 朝倉無声の本をきりとる癖と同しもの 西洋ニ多き話 島田翰 漢土之大家之書物を私したる事を列記して 自分を弁護せし漢文遺書を或判事ニ出して 自縊せし…

日記から読み解く大東亜図書館学

歴史ってば一体ナニ?といわれたら、オタどんは「真っ当な人間とトンデモないオタクとのバトル」といいたい(・∀・) 最近は、真っ当な文人や政治家の公刊された日記にはまっているオタどん。思いもかけないところで戦時図書館学、書物奉行氏言うところの大…

反国語国字改良運動家の戦後

平井昌夫『国語国字問題の歴史』巻末の「国語国字問題年表」の昭和17年7月の欄に「島田春雄、鬼塚明治、森本忠、大西雅雄等二十余名は国語国字改良反対の反動団体たる「日本国語会」を発起(十一日)」とある。島田も森本も、戦後、大日本言論報国会理事だっ…

宮澤賢治と霊智学

宮澤賢治といわゆる「霊智教メモ」についての先行研究としては、香取直一氏によるものがある。 未見だが「宮沢賢治、その魅力 19」(『東洋の人と文化』45号、平成元年5月)に詳しいらしい。 大正15年1月に開設された岩手国民高等学校における賢治の「農民芸…

三井甲之の『神皇紀』批判

『我等』4巻1号(大正11年1月1日)の「最新学説の紹介」の中で、三井甲之が『神皇紀』を紹介・批判している。 次にその批判であるが、その研究資料としての「宮下文書」の成立に就ての研究批判が不足してをることゝ、「神皇紀」があまりに綜合的体系の構成に…

大川周明と楢崎皐月

辻潤の妹恒の夫で、津田光造という人がいる。アナキストから国家主義者に転向して、戦後は「著書」を理由として公職追放に該当。『大川周明関係文書』に津田の大川宛書簡が収録されているので、見てみよう。昭和29年2月18日付け書簡に、 このたび厚木におけ…

 戦前の神代文字論者

平井昌夫「神代文字論争史(三)」(『書物展望』昭和19年3・4月合併号)*1に、戦前の神代文字肯定論者の名前が挙がっている。 昭和になつてからの存在説をとる文献で眼についたのをいくつか列挙すると次の通りである。 高畠康明『神字起源解』(昭和八年五…

酒井勝軍と玉利喜造

森鴎外の日記の大正11年2月26日の条に「午餐于九鬼隆一家」とある。阿部次郎の日記を見てたら、この時、面白いことが九鬼家で行われていた。 大正11年2月26日 午餐によばれて九鬼行、森先生その他と同席、玉利博士の邪気霊気説をきゝ日暮上野と四谷見附まで…

暁烏敏と増田正雄

暁烏敏という坊さんがいる。堺利彦『売文集』(丙午出版社、明治45年5月)の「巻頭の飾」に一文を寄せた一人でもある。暁烏の日記に大阪の増田正雄という人物が出てくる。 明治42年の日記の「年賀状往復控 来」では「大阪市西区江戸堀南通五 増田正雄」、43…

 国際政経学会常務理事増田正雄の正体

長い間謎とされてきた増田正雄の経歴が多分判明した。 まず、柳田國男の「大正七年日記」と「大正十一年日記」で増田の名前を探してみる。 大正7年1月30日 △午後増田正雄君来日露実業会社が二千万円に増資することゝ社長がほしいといふこと、 11年1月10日 夕増…

ヒトラー総統との交信に成功

大東亜戦争開戦前から、開戦後に備えてか、ドイツとの交信実験が行われていた。 『神日本』第5巻第3号(神乃日本社、昭和16年3月1日)によると、同年2月17日に同社主催の心霊研究実験会が福来友吉博士と新進気鋭の霊能者森山武彦を中心として行われたという…

海軍大将山本英輔のトンデモ遍歴

山本英輔『真理の光』に、山本が戦前接触したり、本を読んだ霊術家などが記されている。 神田の梅田某という医者(桑原式精神霊動) 大本教(王仁三郎、浅野和三郎) 木村天眞 加藤確治 小玉呑象(易) 石龍子(観相) 池田謙三(易) 中村天風(統一哲医学…

酒井勝軍の死とトンデモない人達

戦前期日本におけるトンデモ世界の巨人の一人*1、酒井勝軍は昭和15年7月死去。主宰していた『神秘之日本』は同年11月に追悼録として終結号を発行。その中に「弔問弔詞を賜はりたる御芳名」があって、巖本善治や押川清(春浪の弟)の名前もある。もちろん竹内…

神代の如く神多し

猫猫先生がブログで小説の連載をするかと思えば、ma-tango氏は太霊道に関する論文を連載。この太霊道が日の出の勢いだったという大正6、7年頃は、色んな神さんが活躍していたらしい。宮武外骨の『スコブル』第12号(大正6年10月1日)によると、 ▲今は神代…

宮本百合子と黒田礼二

中條百合子、後の宮本百合子は、朝日新聞ベルリン特派員の黒田礼二(本名・岡上守道)とのモスクワでの出会いについて、自伝的小説『道標』で次のように記している。 名刺には比田礼二とあり、ベルリンの朝日新聞特派員の肩がきがついていた。比田礼二−伸子…

大阪の奇人岡田播陽(その2)

奇人岡田播陽に再び出会った。 秋田雨雀の日記。 昭和10年7月22日 歴史の研究家前川君につれられて大阪城へいった。(略)帰路、大塩中斎の岡田播陽という人にあった。前にあったことのある人だ。おもしろい人物で西川光二郎なぞの友人だ。近所のバアでごち…

戦時下早稲田のトンデモ科外講義

『早稲田大学百年史』第3巻に、「非常時下の科外講義と校外教育」という一覧があって、幾つかのトンデモなさそうな講義を見つけた。 昭和15年12月11日 キール師範大学教授・伯爵デュルクハイム 「独逸魂に就て」 16年12月23日 内閣情報局・陸軍中佐鈴木庫三 …

宮本百合子とチャーチワードの女助手フローレンス・ウェルス

宮本百合子の日記にはこんな一節があったりする。 大正11年3月23日 夕方、星の六階でコロンビア会。種々な人に会ふ。ベルリナに久しぶりで会ひうれしく思った。 石原さんが見える。日本人の女では二人きり。 おそらく星製薬でコロンビア大学の同窓会が開催さ…

 津田塾大学と失われたムー大陸幻想

後に津田塾大学塾長となる星野あいは、大正7年9月のコロンビア大学入学について自伝『小伝』で次のように振り返っている。 ニューヨークでは住居を探すのに一苦労しましたが、偶然の機会に昔、海岸教会でオルガンを弾いていらしたので顔見知りであった吉田信…