神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

国民精神文化研究所所員小島威彦の噂話をする住谷悦治

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 同志社大学人文科学研究所から『住谷悦治日記 一九三三(昭和八)年』(令和2年5月)が刊行された。滝川事件が起きたこの年は、同志社大学教授だった住谷がある青年に金を貸したことにより共産党との関係を疑われ、検挙され辞職する重要な年である。大正3年から昭和56年までの日記がデジタル化されているというので、他の年の日記もどんどん翻刻していただいて、読んでみたいものである。
 本書を読んでいたら、小島威彦の名前が出てきた。

(昭和八年)
十一月二十八日 火曜
午前中小島歯科医院へ行く。(略)
十二月六日 水曜
(略)
午後歯科医へ。小島威彦といふ国民精神文化研究所の所員の噂。(略)

 当時住谷は神戸市に住んでいたので、小島歯科医院も神戸市内にあったことになる。また、小島は神戸市出身なので、この小島歯科医院は親戚かもしれない。住谷というある意味で小島とは両極端のような人物の日記に、小島の名前が出てくるのが面白い。やはり、他の年の日記も注目される。
 なお、「主要登場人物略歴」に、小島について、「一九三〇年に文部省国民[精神]文化研究所助手となり」とある。参考文献にある小島の自伝『百年目にあけた玉手箱』(創樹社)の年譜に拠ったのだろうが、1930年にはまだ国民精神文化研究所は存在しない。
 日記には、そのほか「京大文学部哲学科の宗教学専攻初代卒業生だった瀧浦文彌のキリスト教人生ーー石川啄木の代用教員時代の同僚上野さめの夫ーー - 神保町系オタオタ日記」で言及した瀧浦文‘彌も出てくる。

五月十八日 木曜
(略)
午後七時より故吉野作造博士追悼座談会。委員として僕は六時に具島君を誘って早めに出かけた。
着々と人集り、三十七名。予想したほどの人々が集ったのでなによりであった。
今井嘉幸、栗原基、千葉豊治、財部静治、瀧浦文彌、佐々木惣一、金谷重義、大槻正男、林要、ハセ部文雄、能セ克男諸氏・・・・・・
十時半まで故人を偲ぶ。

 注によると、京都帝国大学楽友会館内菊水館出張所の請求書の挿込があるので、楽友会館で開催されている。瀧浦は思っていたよりも重要な人物かもしれない。
参考:「昭和図書館の古書展に通う住谷悦治と絲屋寿雄 - 神保町系オタオタ日記