久しぶりに驚愕の日記を発見。『丸山敏雄全集』日記篇(社団法人倫理研究所)だが、この日記が凄い。増田正雄のユダヤ研究会、田多井四郎治のウエツブミ研究会、契丹古伝などがボンボン出てくる。未知のトンデモ本にも言及されていてたまげました。とりあえずは、第18巻から戦時下のユダヤ研究会に関する記述を紹介。
(昭和二十年)
三月二十四日(土)晴 ユダヤ会 竹秋かへらんかとまつ
一、「神国意識の復古と実践」前半仕上。原氏*1に提出(十一時)。
(略)
◯(略)一時よりユダヤ研究会(ヨミウリ五階)。
二、福来博士、二重性、テレオロギー、戦局と神霊と戦、日と火、太陽と星、剣と蛇、文化。(略)
三月二十五日(日)晴
(略)
◯午後一時半より、ユダヤ研究会。増田先生、戦局、神霊と戦争、支那及日本におや[け]るユダヤ人の研究、よし。
五月十九日(土)曇雨
(略)
妻を伴ひ、読売五階、ユダヤ研究会出席。「独滅亡の因」と其教訓。
五月二十日(日)雨寒
(略)
◯九時より、読売五階にて、ユダヤ研究会(神霊と戦争(二))。増田理事、鹿島ダチセン。前[戦]局の前途。
「福来博士」は福来友吉だろうね。「ユダヤ研究会」は、第17巻の「猶太研究会」の注に「四王天延孝(後出)が主宰する研究会」とある。この日記は国会図書館が所蔵する『猶太研究』(国際政経学会)昭和19年11・12月号以降の反ユダヤ主義団体の状況がわかる貴重な資料だ。
丸山は、ひとのみち教団の幹部だった人物。増田とは山本英輔が会長の八光会経由で知り合ったと思われる。第18巻の注によると、丸山の友人石毛英三郎が常務理事を務め、増田は会員であった。丸山も同会の機関誌『八光』に寄稿している。
ひとのみち教団(後のPL教団)と偽史関係者が直接関係したとは思わないが、礫川全次『サンカと三角寛』(平凡社新書、平成17年10月)にあるように三角も信者で本日記にも名前が出てくる。まあ、色んな名前が出てくる日記である。藤澤親雄や酒井勝軍の名も出てくるし。
なお、引用文中の「神国意識の復古と実践」は三菱重工業訓育部から頼まれて書いた文書で、次のような驚くべき記述がある(同全集第2巻)。
(略)文字についても、我国に曾て存した神代文字が世界各地に分布して、支那の鳥跡、蝌蚪の文字となり、アッシリヤの楔形文字となり、エジプト文字となり、インカ帝国の文字と成つたことについての研究は、今急速に進行しつゝある。又言語学よりする民族学・人種学の方向も、スメル族こそ世界最古、中心の民族であり、我国こそその根本中心なることが、次第に明瞭になりつゝある。土俗としても、我がみそぎの風習がキリスト教の洗礼となり、仏教の灌頂となつてゐること。
サンカと三角寛(みすみかん) 消えた漂泊民をめぐる謎 (平凡社新書)
- 作者: 礫川全次
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2005/10/11
- メディア: 新書
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