神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

満洲の唐木順三とスメラ学の前波仲尾

古田晁臼井吉見とともに昭和15年筑摩書房を創業した唐木順三の評伝である澤村修治『唐木順三ーーあめつちとともにーー』が、昨年ミネルヴァ書房から刊行された。読んでみると、トンデモネタがあって驚き。唐木は、昭和5年5月三木清の斡旋で満洲教育専門学校に教授として赴任。校長は前波仲尾(まえは*1・なかお)と言うが、本書には次のようにある。

満洲教育の校長は前波仲尾という老人だった。正規の学歴をふまず独学で勉強した努力家で、偏屈であるのと同時に反骨精神も旺盛。博識があり常に一家言を持っていた。ただしとにかく風変わりで、たとえば、古事記トルコ語による解釈をして唐木を驚かせている。日本語はスメール語の影響下にある、という前波独自の説からであった。(略)

いや、驚きました。そんな人が満洲にいましたか。この前波、皓星社の『日本人物情報大系』12巻収録の『満蒙日本人紳士録』(満洲日報社、昭和4年5月)で経歴がわかる。要約すると、

前波仲尾 満洲教育専門学校々長
慶応3年3月生、本籍地福井市
明治25年姫路師範学校長を振出しに教育者としてスタートを切る。
盛岡中学校長、鹿児島川内中学校長、佐賀県鹿島中学校長、神戸甲南高等学校教頭を歴任。
大正12年三省堂の切なる嘱望により編集顧問として赴任。
昭和4年1月渡満して満洲教育専門学校長に就任。
30年前最初の口語文法を出版。また、クラウン・リーダーは氏の案よりなり、我が国において最初にフオネティックサインを英語教授に適用。常に時代より一歩先を歩み、教育事業に深い造詣と高遠なる識見と真理のためには敢えて戦を辞せざる意気と熱とを有す。

知る人ぞ知る教育者だったようだ。なんと、くうざん先生も関心を持つ人である。→ブログ「くうざん本を見る」の「尾と子
スメラ学塾の小島威彦が唐木に接触したことは、「スメラ学塾より筑摩書房編集顧問を選んだ唐木順三」で言及したが、その前にこのような人にも出会っていたわけだ。前波の『復原された古事記:改装復刻版』(復原された古事記刊行会、昭和63年)は持ってないが、古書価は高いようだ。

*1:澤村著の167頁のルビによる。くうざん先生が入手した仲尾の息子仲子著の『改訂増補/女性寶鑑』(京北書房、昭和24年3月12刷)によると、「まえば」が正しいようだ。