神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『国史研究室通信』26号(終刊号?)(京都帝国大学文学部国史研究室、昭和17年2月)に吉田三郎が

これまた、三密堂の100円均一台で拾った3冊の『国史研究室通信』のうちの1冊。非売品、35頁。さすがに南部や西部の古書会館でもこれは落ちてないだろう。
本誌は、昭和6年12月創刊で11年に休刊、15年7月に再興して24号を発行。京大文学研究科図書館が創刊号から26号までを所蔵。本号に記載はないが、おそらく最終号だろう。目次は、

世界史の転換 西田直二郎
宮中の御祭祀 高木正順
神都雑記 安斎二郎
台北だより 中村喜代三
恩師級友を迎ふるの記 鈴木譲
大阪国史学会の近況 有働賢造
随感断片 田中稔
亀井伸明氏の逝去を悼む
亀井君のことども 平山敏治郎
亀井伸明兄を憶ふ 千道雄
研究室通信
会員動静
昭和十六年卒業生氏名
昭和十七年度卒業論文題目
新入大学院学生研究題目
国史新専攻学生氏名
研究室職員移動
昭和十六年以降新上架書目
昭和十六年以降新上架古文書影写本目録
編輯後記

鈴木譲「恩師級友を迎ふるの記」には「国民精神文化研究所所員吉田三郎の謎」などで紹介したスメラ学塾の一員だった吉田三郎が出てくるので、引用すると、

(昭和十六年)
三月三十日(日)
朝井小太郎君と共に、同級生吉田三郎君を基隆に迎へる。吉田君は文部省の国民精神文化研究所々員で、台北で西田先生と落ち合ひ、厦門の興亜院文化部の講習会に赴かれる予定である。
吉田朝井私三人とも昭和六年、史学科出身、吉田君と私は国史専攻だが、朝井君は地理専攻、更に三ヶ年を京都農学部に学び、文学士農学士の篤学の士、昭和九年より十四年まで私と同様台北商業に奉職、目下台北農事試験場蔬菜部の主任をしてゐる。(略)それより三人で町端れの矢野先生宅を訪問。旧懐談に花を咲せつゝ、総督府台北大学よりの講演の依頼をも断つてゐられた先生に陥落を願つて、三人して意気揚々引き上げたのは正に真夜中の零時、バス既に無し。

「西田先生」は西田直二郎。「矢野先生」は矢野峰人だろう。昆野伸幸氏によると、吉田は18年南方に応召され戦死したという。