神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

トンデモだった戦争文化研究所と『戦争文化』

昭和14年3月『戦争文化』が創刊された。編輯兼発行人は麹町区有楽町一ノ四 戦争文化研究所 今藤茂樹。発行所は戦争文化研究所、発売は京橋区銀座西五ノ五菊地ビル内 世界創造社。創刊号の目次は、

グラビア特輯 撮影 深尾重光
日本を繞る世界戦争問題 戦争文化研究所
東亜維新戦の日本=支那史的理念−支那人は日本人なり− アジア問題研究所
植民地論 清水宣雄
日本経済の自信 波多尚
航空文化 泉四郎
反英アラビア人運動 小倉虎治
海賊東印度会社の先駆 深尾重正
シベリア出兵 満田巌
八紘一宇 日本問題研究所
天地の公道に基づくべし 中村光
日本維新の必然性 奥村喜和男
真理と真理との闘争 斎藤晌
日本的青少年運動を確立せよ 渡邊誠
ことむけやはす 志田延義
日本建築論 大谷龍雄
日本の鉄道 吉田三郎
賀茂真淵の古道論 山本饒
日本的映画の創建 川添紫郎
日本教育改革の目標 伏見猛彌
帝大経済学部問題 田所廣泰
独伊の世界政策 ヨーロツパ問題研究所
ユダヤ再認識論 難波浩
ナチスドイツの国民教育と国防 加藤三之雄
西地中海に於ける仏伊の対立 城戸又一
世界維新戦の拠点海南島 支那問題研究所
支那に於ける所謂「教会学校」の処置 平塚益徳
支那統治論 今藤茂樹
世界自然科学の動向 泉三郎
ナチス・ドイツの教育映画 深尾重光
戦争音楽 牧定忠
コンゴオ紀行 小島威彦

スメラ学塾オタの私から見ると錚錚たるメンバーだが、客観的には無名の人が多い。小島威彦や奥村喜和男*1は皆さん御承知だと思うが、その他の人を『大衆人事録第十四版』(昭和17、18年)で調べると、

波多尚 明治37年3月20日熊本県生。同盟通信社ハノイ支局長兼サイゴン支局長。昭和2年東大法科卒、3年電通編輯部に入り、現社経済局週報部長、事業局調査部長を経て現職。
深尾重光 明治41年生、貴族院議員深尾隆太郎長男。東北大理科卒、巴里留学。
深尾重正 大正3年生、貴族院議員深尾隆太郎二男。早大文科卒。
伏見猛彌 国民精神文化研究所員。福島県人。昭和3年東大文学部卒。
吉田三郎 国民精神文化研究所員。京都府人。昭和6年京大文学部史学科卒。

しか載っていない*2。小島の妻淑子(明治40年生、大阪樟蔭高女卒)は深尾隆太郎(男爵、貴族院議員)の三女で、深尾重光・重正は小島の義兄弟である。その他は、小島が勤めていた国民精神文化研究所の職員が多い。『文部省職員録昭和十三年十月一日現在』では、小島・志田・伏見は所員、中村・山本・吉田・渡邊は助手、平塚は編輯事務臨時嘱託。『文部省職員録同昭和十四年十月一日現在』では、泉四郎・田所は思想に関する調査嘱託。

また、『現代出版文化人総覧昭和十八年版』の「現代執筆家一覧」によれば、

城戸又一 キドマタイチ 明治35年福岡県生。東大仏文卒。職歴:大毎、東日パリ特派員。現職:東日欧米部副部長。専攻又は執筆専門項目:外交評論。所属団体:日本文学報国会、日本評論家協会。

斎藤晌 サイトウシヨウ 明治31年愛媛県生。別名荊園又は荊棘園。東大哲学卒。現職:文部省専門委員、東大教授、日大、明大、国大講師、報知新聞社客員。専攻又は執筆専門項目:哲学及思想問題一般。所属団体:中央教化団体聨合会参与、民族国策研究会研究委員

志田延義 シダエンギ 明治39年富山県生。職歴:中学校教員。現職:国民精神文化研究所員兼教学局教学官。専攻又は執筆専門項目:国文学、古典、神話、国語教育、言語政策。所属団体:日本大学東洋文化研究会。著書:古代詩歌に於ける神の概念−−久松潜一共著(畝傍書房)神話篇(世界創造社)。なお、「図書発行者一覧」によると、『東洋文化月報』の発行所である東洋文化研究会(京橋区銀座西三ノ三)の代表者である。

清水宣雄 シミヅノブヲ 明治33年鳥取生。京大哲学卒。現職:世界創造社社長。専攻又は執筆専門項目:政治、文化評論。所属団体:日本出版文化協会

平塚益徳 ヒラツカマスノリ 明治40年生。東大教育卒。職歴:立大講師、国民精神文化研究科(ママ)嘱託。現職:広島高師教授。

伏見猛彌 フシミタケヤ 明治37年福島県生。東大教育卒。職歴:東大文学部教育学研究室助手。現職:文部省国民精神文化研究所員。

満田巌 ミツダイハオ 大正2年生。東京外語独語卒。職歴:内閣総力戦研究所嘱託。現職:情報局嘱託。専攻又は執筆専門項目:政治経済評論。

吉田三郎 ヨシダサブロウ 明治41年京都府生。京大国史卒。職歴:京大文学部副手、京都府立桃山中、自由学園、津田英学塾講師。現職:興益(ママ)練成所練成官、国民精神文化研究所員、京大講師。専攻又は執筆専門項目:日本歴史(日本近世思想史)

・泉三郎については「戦時下の出版社アルスとスメラ学塾(承前)」(2006年5月31日
・川添紫郎(川添浩史)については「後藤象二郎の孫とメディアの支配者」(2006年10月18日
・城戸については「秘められたフランス時代の岡本太郎」(2011年3月1日
・斎藤については「元々社の最新科学小説全集に関するちょっとした発見」(2009年12月11日
・志田については「国民精神文化研究所所員志田延義の記憶の片隅」(2006年9月15日
・清水については「戦時下の出版社アルスとスメラ学塾(承前)」(2006年5月31日
・伏見については「知的戦士養成機関スメラ学塾(承前)」(2006年4月23日
・満田については「上林暁と小島威彦(承前)」(2006年7月2日
・山本については「弘文堂と国民精神文化研究所所員山本饒」(2006年9月16日
・吉田については「国民精神文化研究所所員吉田三郎の謎」(2006年9月17日
も参照されたい。

創刊号の寄稿のうち、「東亜維新戦の日本=支那史的理念−支那人は日本人なり−」(アジア問題研究所)は、『支那人は日本人なり』(アジア問題研究所(発行人は今藤茂樹))の「第二篇東亜維新戦の日本=支那史的信條」として昭和14年6月に刊行されているが、仲小路彰が書いたものだろうか。支那の周代以前の古代民族は、後代の漢民族文化とはまったく異なる上代日本文化圏に属するもので、住民も古代日本民族と同一種だったという。その後、一大地変があって、日本本土とアジア大陸との交通が阻害され、日本の直接統治が失われたという。このような経緯から、支那人は自らの民族の本質に覚醒し、真に自らを統治すべき王道の本源なる皇道による八紘一宇の世界政庁に帰属し、万世に安固たる国土を創造すべきであるとしている。偽書こそでてこないが、藤澤親雄に近い思想だ*3。更に、トンデモないことが書かれている。

義経は北方大陸に亡命した。(略)義経は北方に進み、モンゴール族を日本的に統一し、遂に亜欧両大陸に亘るツラン民族線、ウラル・アルタイ民族線に、王道を拓くのであつた。

ああ、源義経ジンギスカン説も取り入れていたんだ。
なお、小田光雄氏が「古本夜話126」の「『伊太利亜』、『イタリア』、『戦争文化』」で昭和研究会との関係を推測しているが、小島が言う「支那問題研究会」は「支那問題研究所」、「アジア太平洋研究会」は「アジア問題研究所」(と「太平洋問題研究所」。『戦争文化』創刊号には出てこないが、戦争文化叢書を数冊刊行している)、「国土計画研究会」は「日本問題研究所」の誤りと思われ、私は昭和研究会とは関係ないと思っている。

(参考)「知的戦士養成機関スメラ学塾(承前)」(2006年4月21日

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「メリーゴーランド京都の小さな古本市」4回目があるようだ。

10月9日(日)10日(祝月)
10:00〜19:00
京都市下京区河原町通四条下ル市之町251-2 寿ビル5F

出店の皆さん(順不同)
・ふるほんや俊(谷川俊太郎
・6次元
・文壇高円寺古書部
・FORAN
・BOOKONN
・moshi moshi
・となり古書店海文堂書店・北村知之)
・古書コショコショ
口笛文庫
・貸本喫茶ちょうちょぼっこ
・とらんぷ堂書店
トンカ書店
・古本オコリオヤジ
・古書善行堂
蟲文庫
・bookcafe 火星の庭
・GALLERY GALLERY
・小雀
・りいぶるとふん
増田喜昭

*1:「戦時下の出版社アルスとスメラ学塾」(2006年5月29日)参照

*2:深尾重光・重正は、深尾隆太郎の家庭欄の記載による。

*3:ムー大陸の怪人と『新若人』の快人」(2006年5月16日)参照