昭和17年上野で開催されたアジア復興レオナルド・ダ・ヴィンチ展覧会については、「まだまだあったスメラ学塾関係論文」などで紹介したところである。私の調査により天羽英二、大蔵公望、斎藤茂吉、高松宮、中野重治が観覧したことが判明しているが、『浪江虔・八重子往復書簡』(ポット出版、2014年8月)を読んでいたら、昭和17年9月13日付け浪江虔(けん)宛板谷敞(しょう)書簡にも出てきた。
上野でレオナルドダヴィンチの展覧会が開かれてゐます。「モナリザ」や、「最后の晩餐」の模写が、申訳みたいに陳列して有る外、大部分は、彼が残した設計図によって製作、組立てられた機械類で、今の時代としては勿論ビックリする様な物は有りませんが、この「万能の天才」のエネルギーには全く頭が下ります。
板谷は私立南多摩農村図書館を創立した浪江の弟。
浪江『図書館運動五十年ーー私立図書館に拠ってーー』(日本図書館協会、1981年8月)によると、板谷の経歴は、
大正3年9月 生まれる
昭和2年 東京高等学校尋常科に入学。日本基督角筈教会笹塚分教会のメンバーにもなる。
5年12月 同校の社会科学研究会のメンバーとして市電争議でビラ巻きをしたことが端緒で、社研会員が一斉検挙された際の一人となる。
7年9月 諭旨退学
上智大学独逸語専修科に学び、二人の兄の獄中でのおそるべき読書欲を十分満足させる本の差入れを行う。
電機会社に勤め、夜学で日本大学工学部を卒業
15年 兄の検挙(5月)の巻添えになり、半年ほど警察に留め置かれ失職
軍需産業関係の研究所に勤め、再び二人の兄への差入れ本の世話をする。
戦後 シリコニット高熱工業で技術系の仕事に携わり、重役になる。
54年4月27日 相談役として毎日出勤していたが、出勤途中心筋梗塞のため没
既に判明している他の観覧者に比べると有名人ではないが、また一人観覧者を見つけられて嬉しい。
- 作者: 浪江虔,浪江八重子,『浪江虔八重子往復書簡』刊行委員会
- 出版社/メーカー: ポット出版
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