神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎の義兄小林倉三郎


『日本の有名一族』に、谷崎潤一郎の最初の妻にして、後に佐藤春夫夫人となる千代の姉妹として、初子・せい子が挙がっているが、倉三郎という兄もいる*1。谷崎の弟終平の「回想の兄・潤一郎」によると、

兄嫁の兄に当る人で小林倉三郎という人がいました。太った目玉の大きな人で南洲(西郷)という渾名でした。(略)後に、原稿用紙の久楽堂と称して、作家の処へ原稿用紙を売歩いた時期もあって、古い作家の方々にはご存知の方も少なくないかと思います。(略)確か「中央公論」に昭和の初期に二、三回書いています*2


この倉三郎が秋田雨雀の日記に出てくる。

昭和10年2月2日 清水君が紙屋をつれてきた。この人の妹は佐藤春夫の妻君だそうだ。


  16年1月5日 夜、東長崎近所の文士画家たちの会へいく。三年ほど前に行ったことのある場所。五時から画家達の集り、東長崎駅前の西洋料理屋錦華亭。宮地嘉六君も珍しく参加した。千家元麿君の長男も来た。洋画、日本画家を交えて十六、七名の人々が集った。愉快な会合だった。佐藤春夫夫人の兄の小林という人がいい声で長唄の「鶴屋」をうたった。

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『SPA!』で図書館オタクの女性が国会図書館のカレーは最高と言っていたが、食堂は2月4日〜3月31日休みだすね。

*1:「お千代の兄より」(『婦人公論昭和5年11月号)によれば、7人兄妹で初子は倉三郎の姉に、千代・せい子は妹に当たる。

*2:「原稿用紙屋の話」昭和13年10月号、「蕎麦屋の話」同年12月号と思われる。