神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2011-01-01から1年間の記事一覧

小野忠重が勤めた南洋団体連合会

小野忠重が昭和16年に勤めていたという南洋団体連合会について、概要を書いておこう。 南洋団体連合会 創立:昭和15年8月 目的:会員団体相互の提携を緊密にし政府との連絡を図り以て我国の南方進展に貢献すること 事業:一.懇談会、研究会等の開催 二.他の…

大日本帝国と風力発電

真崎甚三郎日記に岩下章一という日本における風力発電史上忘れられたと思われる研究者が出てくる。 昭和18年2月23日 古賀*1十二時半に来訪、岩下章一なる者、二十年苦心の結果、風力にて蓄電するものを発明し、海軍に兵器に採用せられたりとて、高浦*2の代り…

東北おっぱいいっぱい展開催中

日本出版クラブ会館(新宿区袋町6)の1階ローズラウンジで、「東北おっぱいいっぱい展」が昨日から開催中。8月31日(水)までの12時−18時(最終日は16時まで)。チャリティー俳画展で、東北の赤ちゃんに「粉ミルク」を贈ろうという俳人、歌人、作家、写真家…

黎明会の解散時期(その2)

従来大正9年8月とされている黎明会の解散時期について、同年10月の段階でも存在していたと「黎明会の解散時期」(2008年5月19日)で書いた。新たに、9年10月7日付読売新聞5面にも、黎明会に関する記事を発見した。「福田、吉野両博士らの/黎明会亦た起つ/…

福建省独立を画策した角田清彦の経歴

内藤順太郎と共に福建省独立工作に携わった角田清彦の経歴については、「剣山に隠されたソロモン王の秘宝をめぐる怪しい人達(その2)」(2007年4月5日)で少し触れたことがある。より詳しい経歴が『国家主義系団体員の経歴調査(一)』(『思想資料パンフ…

日本青年外交協会と理事長原勝

『婦人公論』編輯長だったという八重樫昊(筆名・林秀)が常務理事を務めた日本青年外交協会は、昭和13年3月に創立された。協会の概要は、『昭和十八年版日本文化団体年鑑』によると、 日本青年外交協会 所在地:東京市麹町区六番町三ノ四 役員:理事長原勝…

小谷野とんに挑む

小谷野敦『久米正雄伝』189頁に、大正11年の『主婦之友』に連載された『破船』について、大正7年12月28日付読売新聞に明後日から大阪毎日新聞で連載される旨の予告が載ったことが書かれている。また、同紙での連載は実現せず、翌年1月5日から有島武郎の「小…

広津和郎と本郷の八重山館

『中央美術』大正9年10月号に掲載された鍋井克之の日記8月10日の条によると、鍋井は妻が病気で帰郷したため、広津から譲ってもらった部屋に下宿しているが、関西に旅行している間に、広津が戻ってきていて、広津は隣室の友人の部屋と鍋井の部屋とを往来して…

民族研究会幹事内藤順太郎の経歴

民族研究会の常任幹事だった内藤順太郎だが、『国家主義系団体員の経歴調査(一)』(『思想資料パンフレット特輯第二四号』。司法省刑事局、昭和16年4月)によると、 内藤順太郎 生年月日:明治10年5月5日 本籍地:熊本市横手町1031番地 現住所:東京市赤坂…

坪内祐三「日記から 50人、50の「その時」」

坪内祐三氏が平成17年4月2日から18年4月2日まで毎日新聞(東京版)で連載した「日記から 50人、50の「その時」」。取り上げられたのは、 夏目漱石、三島由紀夫、青野季吉、志賀直哉、野上弥生子、森田草平、高野悦子、柳田国男、中島健蔵、山田風太郎、…

カール・ハウスホーファーと太平洋地政学

「古本夜話119」は、「ハウスホーファー『太平洋地政学』と太平洋協会」。 地政学について、私の過去のエントリーを振り返ると、・日本地政学=皇国地政学については、 「旺文社社長赤尾好夫とクラブシュメールの宴の日々」(2006年5月9日) 「旺文社社長…

金児農夫雄の素人社と『現代文藝』

西村陽吉等『第一短詩集』(素人社、大正15年3月)にある金児農夫雄の「小伝」によると、 金児農夫雄 明治27年3月北海道余市町生 札幌中学在学中、家産傾き自活の道を得んとして師範学校に転ず 出てて塩谷小学校を振出しに、小樽稲穂女子、同堺等の小学校を…

『婦人公論』編集長八重樫昊

中央公論社の社史から八重樫昊に関する記述を拾うと、 昭和5年11月 八重樫昊、婦人公論編集主任となる 7年6月 八重樫昊、婦人公論編集部長となる 10年2月 婦人公論編集長八重樫昊、事業部長に転ずる 八重樫はこの後、同社を辞めたようで、同姓同名の人が、昭…

世界紅卍字会員の今小路了円

真崎甚三郎の日記には、世界紅卍字会の関係者が数名出てくるが、今小路了円という坊さんも出てきた。 昭和14年12月15日 桑野淳城、今小路了円十三時半に来訪、桑野は天津本派本願寺の主任にして田代夫人の紹介による者、今小路は紅卍字会の会員にして前者の…

蘇る東電OL殺人事件の記憶

昔のブログをほじくりだした。 渋谷円山町・東電OL殺人事件 2005年3月10日 昨日の3月9日は、ある女性の命日だった。 彼女の名前は、渡邉泰子。 平成9年3月8日深夜に殺された東京電力社員だ。毎日、殺人事件が起きている中で、彼女のことは、忘れ去ら…

ヤング・ブックメンズ・ソサェティの概要

ヤング・ブックメンズ・ソサェティ*1については、「長嶋亜希子の祖父西村陽吉とヤング・ブックメン・ソサエティ」(4月23日)で言及したところであるが、『現代出版業大鑑』(現代出版業大鑑刊行会、昭和10年8月)の「第一篇総観」の「一四ヤング・ブツクメ…

詳細年譜の書籍化

詳細年譜を書籍化したものというと、漱石、鴎外、葉山嘉樹、大杉栄などがあるが、鶴見祐輔も出ていた。 石塚義夫『鶴見祐輔資料』(講談社出版サービスセンター、2010年12月)だが、「序」によると、国会図書館憲政資料室の鶴見祐輔文書に寄贈予定の「鶴見祐…

第一書房の長谷川巳之吉と帝国図書館司書官林繁三

『図書館雑誌』昭和12年7月号の「彙報」欄で、第一書房の長谷川巳之吉が林繁三の紹介で日本図書館協会の特別会員として入会していたことが判明。この林は、『簡約日本図書館先賢事典』によると、 林繁三 はやし しげぞう 1896−1948 1本籍又は生地:福岡、2…

小野忠重と本所図書館主任山田正佐

坪内祐三氏も『週刊現代』の書評でほめてた駒村吉重『君は隅田川に消えたのか 藤牧義夫と版画の虚実』(講談社)。同書によると、小野忠重「回想の藤牧義夫」『藤牧義夫』(かんらん舎、昭和53年)に藤牧が昭和9年「隅田川両岸画巻」を描いたきっかけに関連…

秋田雨雀が見た「破船」事件前後の久米正雄

秋田雨雀の日記に、大正6・7年の破船事件前後の久米正雄が出ている。 大正6年2月25日 今日起きてまもなく稲岡の娘さんがきた。散歩に行く約束をしていたので、二人で少し話をしてから夏目さんの墓の方へ行く。今朝、ちよ子は妻といっしょに夏目の墓へ行って…

東京帝国大学附属図書館司書加藤素治=北原放二

「雀隠れ日記」さんが、東京帝国大学附属図書館ネタを投入している→「北原放二」 そこに挙がっている北原放二(本名・加藤素治)司書の同僚について、私の過去のエントリーをまとめると、次のとおりである。増田については、その後、書物蔵「屠れ米英われら…

エロ・グロ雑誌編集の三冠王田中直樹

田中直樹については、武侠社で『犯罪科学』の編集長、四六書院で『犯罪公論』の編集長、実用雑誌社で『犯罪実話』の編集長をしていたことや、文化公論社*1を創業したことが判明している。ネット上には詳しい経歴が出ていないが、「「娯樂雜誌」の編輯・其他…

上海日本近代科学図書館の松井松次

水島治男『改造社の時代 戦中編』に、上海日本近代科学図書館の松井松次が出てきた。『改造』昭和12年10月号に「上海籠城日記」を書いた大和太郎という人物について、 戦争は長引くという。そこで上海在留邦人の生命をまもるため、軍務に関係のない非戦闘員…

『真崎甚三郎日記』にも出てきた篁白陽

篁白陽(本名・若林不比等。川上初枝=若林初枝=内山若枝=日高みほの夫)が昭和11年1月25日満川亀太郎を訪問し、すめら連邦建設運動について語ったと、「篁白陽のすめら連邦構想」(2月15日)で言及した。なんとその前日、篁は真崎甚三郎を訪問していた。…

『二十世紀の神話』を訳した独文学者吹田順助

「古本夜話114」は、 「ローゼンベルク『二十世紀の神話』と高田里惠子『文学部をめぐる病い』」。上村清延と共に『二十世紀の神話』(中央公論社)の翻訳をした独文学者吹田順助について書いてみよう。 「『私の稀覯本』(今井田勲著)から」(2006年1月…

三木清も住んだ本郷館も解体へ

読売新聞東京版連載の「森まゆみのむかしまち散歩」21日分は、「本郷館(文京区本郷6丁目)」だった。 そして明治38年に本郷館ができ、翌年、徳田秋声がその近くに越して昭和18年に亡くなるまで住みました。明治41年には石川啄木が金田一京助の誘いで隣町の…

菊池寛に殴られた上、訴えられた福山秀賢

戦後、ロマンス社などで編集者をしていた福山秀賢について、ちょっこし調べてみた。昭和56年6月20日付読売新聞夕刊によると、 福山秀賢 婦人公論元編集長、大法輪前編集長 19日死去、84才。石川県珠洲市出身。喪主は二男、不二(ふじ)氏。 中央公論社の社史…

自笑軒と号した田端の杉本僖平

木村捨三編『千里相識』(集古会、昭和10年9月)は集古会の会員名簿だが、それを見てたら、 杉本僖平 明治十七年四月十四日生 一出生地:日本橋区伊勢町壹番地 二現在住所:東京市瀧野川区田端町三百四十三番地 三職業:懐石料理 四研究の事項:料理ト茶道 …

「谷崎潤一郎訳『源氏物語』を発禁にしろ」と、小川平吉

小川平吉の日記を見てたら、谷崎訳の『源氏物語』を発禁にしろという運動があったようだ。 昭和14年2月1日 日本社午餐会、源氏物語俗訳禁止に努力する事を議決す。 2月6日 夜浜町蔦毛登に首相秘書太田耕造氏の招宴に臨む。池田、入江、岩田、葛生、横矢等志…

黒光会と里見とん

『松本学日記』に里見とんが出ていました。 昭和10年4月3日 午前十時頃の汽車で鎌倉に行く。大仏裏、藤浪別邸に行く。黒光会員黒板勝美、和田三造、結城素明、辻永、里見弓享、大道、服部、小川の諸君。藤浪与平(ママ)衛君は芝居の大小道具方を商売とせる…