神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『真崎甚三郎日記』にも出てきた篁白陽

篁白陽(本名・若林不比等。川上初枝=若林初枝=内山若枝=日高みほの夫)が昭和11年1月25日満川亀太郎を訪問し、すめら連邦建設運動について語ったと、「篁白陽のすめら連邦構想」(2月15日)で言及した。なんとその前日、篁は真崎甚三郎を訪問していた。真崎の日記によると、

昭和11年1月24日 午后一時今泉定助の紹介にて篁白楊(ママ)なる者来訪す。初対面なり。一見頗る真面目の風あり。久く満洲にて農業に従事し其の経験により民政部の依托を受け諸方を巡り遂に東辺道方面に於ける鮮人の実情に触れ之が集団移民を思ひ立ち東方協会を設けんと欲しつゝあるが如し。予も其趣旨には大に賛成せし。之に先立ち国内統一の急務なるを説明せり。

篁と今泉は川面凡児つながりだろうか。