神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

小谷野とんに挑む

小谷野敦久米正雄伝』189頁に、大正11年の『主婦之友』に連載された『破船』について、大正7年12月28日付読売新聞に明後日から大阪毎日新聞で連載される旨の予告が載ったことが書かれている。また、同紙での連載は実現せず、翌年1月5日から有島武郎の「小さき影」の連載が始まったとある。

小谷野氏は肝心の大阪毎日の連載予告(大正7年12月30日付7面)に言及していないが、「新春の本紙を飾る文藝的作品」と題した予告によると、

小さき影(短篇)有島武郎
活動弁士(長篇)里見とん
次の日曜(長篇)水上瀧太郎
「破れ(ママ)船」(長篇)久米正雄
途上(長篇)芥川龍之介
長編 長與善郎 
長篇 野上彌生子 
偸盗篇 田中貢太郎
医師の怪談 村松梢風

これにより、久米の「破船」の代りに有島の「小さき影」が掲載されたわけではないことがわかる。なお、広告には、「破船」の紹介として、次のようにある。

一両年前物故したる一文豪の愛嬢某女と作家自身との間に於ける恋愛事件を材に取りて、其の一切の秘密を打明けたる懺悔小説なり。「悲しき日に於て楽かりし往時の日を想ふ許り悲しきものはあらず」と聞く。恋に敗れたる若き作家が、言々血を吐く思ひして筆を執れる「破船」一篇、若き時代の記録として永く文壇の珍たるべし」

予告があったもののうち、有島、水上(「次の日曜日」大阪2月20日〜、東京2月25日〜)、長與(「或る人々」4月14日〜)、野上(「母親の通信」6月8日〜)、芥川(6月30日〜)の掲載は実現したが、里見や久米らのは結局掲載されていない。「破船」の掲載がいつ断念されたかは不明であるが、「最近文壇消息(一)」(大正8年1月)には、久米について、

多才の氏は八面に切つて廻つて居たが通俗作家*1の色彩が濃くなつたと云ふので友人の苦諌に遇ひ『やまと』も『女の世界』も断つて控目にして居る、尤も某大新聞からの依嘱で近く長篇物に着手する、短篇集も出したいと目論でゐる。

と、「最近文壇消息(二)」(同年2月)には

近い内に『大阪毎日』に「破船」といふ百回程の小説を書く、恋に敗れた苦い経路を赤裸々に告白する相である(後略)

とあり、大正8年に入ってもしばらくの間は掲載が予定されていたようである。

以上、猫猫先生の指導学生ではないが、『上野千鶴子に挑む』の真似をしてみました。

上野千鶴子に挑む

上野千鶴子に挑む

*1:久米正雄伝』244頁に活字で久米を「通俗」と呼んだのは、『文章世界』大正8年1月号の藤森淳三「小説家としての久米正雄氏」への選評(石坂養平)が最初とあるが、これも最初の例になる。