神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

小野忠重と本所図書館主任山田正佐

坪内祐三氏も『週刊現代』の書評でほめてた駒村吉重『君は隅田川に消えたのか 藤牧義夫と版画の虚実』(講談社)。同書によると、小野忠重「回想の藤牧義夫」『藤牧義夫』(かんらん舎、昭和53年)に藤牧が昭和9年隅田川両岸画巻」を描いたきっかけに関連して本所図書館長の山田正佐が出てくるという。孫引きすると、

その頃私の向島の家の近くの本所図書館長でまもなく日比谷図書館長となる故山田正佐さんの好意で、貴重書の「隅田川両岸一覧」が借りられて、私が彼に見せたのが直接の動機だった。館林から出ていらいほとんど隅田川周辺の東京にくらす彼が感激したのは当然であった。

小野が藤牧について書いた内容は、虚偽が多いとされるが、「貴重書」とある北斎の『隅田川両岸一覧』についても、大正6年の復刻版であることが、大谷芳久『藤牧義夫 眞偽』で明らかにされている。小野が山田の名前を出した意図は不明だが、山田の経歴を『簡約日本図書館先賢事典』で見ると、

山田正佐 やまだまさすけ 1900−1942
1本籍地又は生地:東京、2最終学歴:1922/図講(文部省図書館講習所)、3職歴:1922/大阪毎日新聞社,1923/東京市日比谷図書館,1937/淀橋図書館館長,1942/日比谷図書館、初代事業掛長

である。『図書館雑誌昭和17年8月号の「山田正佐氏略歴」で補うと、昭和6年4月本所図書館主任、12年7月淀橋図書館長、14年2月日比谷図書館目録係主任である。本所図書館のような小規模図書館では「主任」=「事実上の館長」と考えれば、その点に関する小野の記述は一応正しい。しかし、「まもなく日比谷図書館長」とあるのは、「淀橋図書館長」の誤りである。なお、同略歴によると、山田は大阪毎日新聞社時代、毛利宮彦*1のもとで図書室に勤務していたという。
(参考)群馬県立館林美術館で「生誕100年藤牧義夫展 館林に生まれた創作版画の異才」開催中。yukunokiさん、お近くかしら。

君は隅田川に消えたのか -藤牧義夫と版画の虚実

君は隅田川に消えたのか -藤牧義夫と版画の虚実

*1:早稲田大学図書館を追われた毛利宮彦」(2006年7月31日)、「たうたう日本図書館史学界に影響を及ぼしはじめたオタどん(長っ!)」(「書物蔵」2008年7月16日)、中西裕図書館学者毛利宮彦の洋行