戦後、ロマンス社などで編集者をしていた福山秀賢について、ちょっこし調べてみた。昭和56年6月20日付読売新聞夕刊によると、
中央公論社の社史によると、
昭和4年9月 伊藤茂雄、婦人公論編集長となる
5年5月 福山秀賢、婦人公論編集主任となる
5年11月 八重樫昊、婦人公論編集主任となる
7年6月 八重樫昊、婦人公論編集部長となる
「編集主任」が編集長に当たるとしても、福山がその任にあったのは昭和5年5月〜11月の半年間だけである。なお、同年8月28日付東京朝日新聞に、福山から暴行の告訴をされた菊池寛が中央公論社々長嶋中雄作と福山を著作権侵害、名誉毀損で告訴したという記事が載っているが、福山の肩書きは「婦人公論編輯長」とある。
中央公論社時代の前後について見てみよう。中央公論社の前は、講談社に在籍したが、「年度別入社者一覧」によると大正11年入社である。『婦人倶楽部』の大正14年4月号から昭和4年3月号まで編集人を務めた*1。
また、昭和22年12月及び26年4月発行の『出版社・執筆者一覧』によると、青丹社(中野区新井町五三五)の代表者として福山の名前がある。同一人物だろうか。