神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

大日本帝国と風力発電

真崎甚三郎日記に岩下章一という日本における風力発電史上忘れられたと思われる研究者が出てくる。

昭和18年2月23日 古賀*1十二時半に来訪、岩下章一なる者、二十年苦心の結果、風力にて蓄電するものを発明し、海軍に兵器に採用せられたりとて、高浦*2の代りに予に報告すべく来る。例の通り単純にして未だ俄に信を置き難し。

    2月25日 古賀、岩下章一、十時に来訪、岩下は風力電機の発明者にして、今回古賀を其の職員に使用することとなりたる為、之を予に紹介し来りしなり。古賀は前に高浦を予に紹介し、之を失敗せし為今回は確実の者をとて考ふる所ありしが如く、今回は本人の談によるも虚偽にはあらざるべし。不日実現することに約す。

    3月2日 岩下工場。十時古賀及岩崎氏の迎を受け、目黒唐ケ崎日本風力電機製作所に至り視察す。岩下氏の多年苦心の新発明にして、貢献する所大なるべく、一般に利用せらるるも遠きにあらざるべし。

この岩下の経歴だが、昭和15年12月12日付朝日新聞夕刊によると、目黒区唐ヶ崎でささやかな研究所を持つ町の発明家、栃木県生まれの48歳。領事館警察に勤めていたが、昭和4年以来研究に没頭し、14年春風車発電装置によるラヂオ共同聴取受信装置を完成。どんな装置かというと、直径六尺位の風車で風を利用して自動的に蓄電してその蓄電池1個で30箇所に拡声機をつけられ、蒙疆の張北及び宣化縣城で民衆宣撫用として使用されているという。記事によると、数年来岩下を激励してきた大日本傷痍軍人会長林仙之大将が当局と打ち合わせの上、このセットを戦線へ贈り物にする予定とある。

当時の日本における風力発電の状況は、菅秋由『国防と電気』(日進社、昭和18年6月)によると、

風力発電所は我が国では利用されてゐませんが、風車により、小さい発電機を運転してる(ママ)ます。又小さなプロペラーに発電機を取付けて、航空機の無線電信、電話の電源に使用されてゐます。

その後風力発電は格段に進歩しているようだが、岩下が生きていれば、どのような思いで3・11以後の日本の状況を見るであろうか。

(参考)「岩下章一」でググると、神戸大学新聞記事文庫の昭和10年8月13日付東京朝日新聞の記事が見られる。朝日のデータベースではヒットしなかった記事だ。

*1:古賀政男の弟古賀治朗。

*2:「真崎甚三郎日記に見る古賀政男・治朗兄弟と酒井勝軍」(7月4日)参照。