神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

出版

『婦人画報』記者列伝(その5)

瀬戸義直(せとよしなお)という人を『日本近代文学大事典』で引くと、明治22年2月26日生、大正13年6月15日没の翻訳家とある。大正2年早大英文科卒、婦人画報記者もつとめたが、海外文藝の紹介研究に貢献したという。日夏耿之介とも親しかったようで、「假面…

『婦人画報』記者列伝(その4)

近事画報社時代に『婦人画報』の担当者だった枝元枝風については、昨年12月18日にも言及したけれど、追加の情報があるので紹介。 東京専門学校(早稲田大学の前身)文学科を明治34年に卒業。 この後の枝元が坪内逍遥の日記に出ている。 明治37年3月1日 夜枝…

『婦人画報』記者列伝(その3)

宮本百合子の詳しいことについては、田村先生(小谷野敦「山室なつ子の生涯」)に聞いてほしい(笑)が、女史の日記に『婦人画報』の女記者が出てきた。 大正11年2月8日 ○又びしょびしょ雨で陰気な日だ。昨日来た、『婦人画報』の記者は、女、大、で一緒であ…

 『婦人画報』記者列伝(その2)

二人目も女記者。水島爾保布夫人で、SF作家今日泊亜蘭の母である水島幸子については、一昨年7月19日、7月20日、昨年1月13日で言及したところだが、『婦人画報』の記者でもあった。 『跡見花蹊日記』第3巻によると、 明治41年12月5日 来客、岡崎忠子、婦人画…

『婦人画報』記者列伝(その1)

『婦人画報』の近事画報社、独歩社時代については、『編集者 国木田独歩の時代』に詳しいので、東京社時代の同誌の記者について、何人か記録しておこう。ただし、不定期連載。やはり、最初は「グレさん」こと坂本紅蓮洞に語ってもらおう。 『中央公論』28年9…

春陽堂の番頭木呂子斗鬼次

木呂子斗鬼次は志賀直哉の日記にも出てくる。 大正15年3月2日 三月堂の前にて甘酒を呑み武者 浜本と別かれ、日暮れて帰宅、東京より春陽堂の番頭(木呂子斗鬼次)来てゐる 「或る朝」を四六版にして増版したしといふ、承知する。番頭九時半頃かへる 木呂子に…

編集者と作家の距離

昨日の逍遥の日記に出てくる木呂子は春陽堂の木呂子斗鬼次だが、野上弥生子の日記には次のように記されている。 昭和3年9月28日 春陽堂の木呂子夕方訪問、明治大正文学全集の件。父さんがそのうち帰宅、伊豆栄にごはんたべに連れて行く。当然御馳走になる気…

東方社理事中島健蔵

多川 精一『戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々』(平凡社ライブラリー) によると、中島健蔵は、東方社理事として、昭和19年後半から次第に実質的に社のリーダーシップをとるようになったという。 その中島の具体的活動が、『矢部貞治日記』第4巻に出…

建川美次と茂森唯士

元駐ソ連大使の建川美次、そして駐ソ連大使秘書だったという茂森唯士。前者は東方社総裁で、後者は同社役員。この二人の関係にピンとこないようではいかんなあ。わしは、ニュー・タイプにはとてもなれそうもないね(6月21日参照)。 茂森訳のエメェ・アンベ…

清水彌太郎、プラトン社員にして読売新聞社員

プラトン社の清水彌太郎については、昨年9月6日に言及した。 『新聞人名辞典』第3巻(底本:新聞人名鑑昭和五年版)を見てたら、 清水彌太郎 読売新聞社文藝部長 (入社)大正7年6月 明治二十六年二月一日に生れ、早稲田大学卒業、市内某高女並に某女子専門…

悪の情報官鈴木庫三伝説の誕生

野上弥生子も情報官鈴木庫三や情報局次長奥村喜和男が怖かったようだ。日記*1によると、 昭和16年5月26日 公論はだいぶもんだいの雑誌らしい。書くのが少々いやになつた。中河与一夫妻のことや、情報部[ママ]の鈴木少佐のおそろしい話をきく。 18年4月24日 …

東京帝国大学附属図書館司書鵜飼長寿

「また、東京帝国大学附属図書館ですか〜」てか。 そうじゃ。金亨燦『証言・朝鮮人のみた戦前期出版界』にも同図書館司書が出てきた。『日本読書新聞』創刊(昭和12年3月)から2〜3ヶ月経った頃の話として、 そして、日刊新聞に広告を掲載したところ、新進…

東京社の柳沼沢介と天羽英二

天羽英二の日記に柳沼沢介が出てくる。 昭和16年7月19日 朝 柳沼沢介(婦人画報)来訪 小生尊敬セル由述ベ 城戸元亮 太田耕造ト会見方勧ム。 7月28日 夜6時 柳沼沢介招待 下谷清梶 太田耕造 城戸前大阪毎日主幹等政治談 時局談 松岡評 近衛評等 18年7月1日 …

櫻井書店の組坂若松

昭和15年3月に設立された櫻井書店の編集部には秋元重男、広瀬得主、組坂若松、山本夏彦が勤めていた(櫻井毅『出版の意気地−櫻井均と櫻井書店の昭和』)。このうち山本夏彦については、山本伊吾『夏彦の影法師』(新潮社、2003年9月)によれば、社員としては…

武侠社の諸岡弘と吉村貞司

無名(?)の編集者シリーズは続く。 『三好十郎の手帳』(金沢文庫、昭和49年6月)によると、 1932.8*1−カッコ内は了 ○諸岡弘、「犯科」芝区南佐久間町2ノ18武侠社、9月10日前。11-12、3-5なら在社。* (略) ○「恐るべき夜盗□野金八」22枚、武侠社…

東方社顧問、天羽英二

『岩波茂雄への手紙』(岩波書店、2003年11月)を見ていたら、林達夫の昭和18年9月9日付け書簡に面白い記述がある。 かくて幸、岡正雄(民族研究所総務、岡書院の令弟)岩村忍(民族研究所員 新進東洋史家)茂森唯士、中島健蔵(帝大仏文講師)鈴木清(陸軍…

谷崎潤一郎責任編輯の雑誌

會津八一の昭和21年9月25日付け結城信一宛書簡*1によると、 先日谷崎潤一郎君の責任編輯といふ某雑誌の創刊号に歌をもとめられしも歌なしとして称して謝絶を致し候。もしありても谷崎氏の文学に比して拙者断じて下位にあるものとも思はれざる故謝礼は谷崎氏…

甲鳥書林の土橋利彦

斎藤茂吉の日記にも甲鳥書林が出てきた。 昭和17年2月3日 ○午前診療、来客石田徳太郎、土橋利彦 3月17日 ○来客、櫻井書店(中略)土橋利彦(甲鳥) 4月21日 ○来客、(中略)土橋利彦(甲鳥書林) 11月24日 ○来客第一書房斎藤春雄(中略)土橋利彦 19年12月11…

甲鳥書林の鈴木さん

野上彌生子の日記*1に甲鳥書林が出てきた。 昭和16年4月25日 朝甲鳥書林の鈴木氏来る。原稿を渡す。はじめは「叢林」とするつもりであつたが、それではあまり掻きあつめたものゝ気がする。をりから盛りの藤をおもひ、その一字を題にした。中川一政に表紙をた…

日本読書新聞社に送り込まれた刺客、関根康喜

関根康喜(=関根喜太郎=荒川畔村)と日本読書新聞社については、昨年5月25日に言及したところだけど、より詳しいことが、金亨燦『証言・朝鮮人のみた戦前期出版界』(出版ニュース社、1992年1月)に書いてあった。 前記の「懇話会」が発足してから、し…

第一書房の二人の社員

第一書房の社員の名前を著名人の日記で見ることができた。 斎藤茂吉の日記*1には、 昭和16年4月8日 来客(略)鍛代利通(改造)、(略)荑田貞二(文學士)、(略)木下(第一書房)等。 「木下」は、長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』に出て…

早稲田一言堂の加納さん

次のようなメモが残っているのだが、出典がわからなくなってしまった。 「加納和弘 早稲田大学近くで一言堂という古本屋の店を開く」 向井透史『早稲田古本屋街』によると、『別冊太陽 早稲田百人』の「古本屋地図」に戦前の早稲田通り沿いの古本屋として「…

第一書房の廃業に振り回された社員たち

昭和19年に廃業となった第一書房。その社員について、長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』には、 伊藤禱一は戦後、八雲書店、斎藤書店を経て、第二書房を興した(「第二 著書と出版社」)。 八雲書店は、中絶したが、太宰治の最初の全集を計画…

国策出版社だったか、第一書房

佐藤優の『国家の自縛』(扶桑社、2005年9月)に、 開戦の説明責任についても、実は戦争が始まって一週間経ったところで日本政府は大川周明を呼んでNHKで十二回の連続講演をやらせているんですよ。六回は「米国東亜侵略史」、あとの六回は「英国東亜侵略…

親バカとしての岩波茂雄(その2)

その後半年以上進展は見られないが、翌年6月以降事態が動き出した。 昭和7年 6月11日 帰宅の旨を知らせると小林と小百合さんとで来た。京城のアベさん*1に彼女より手紙を出して、非常手段のやむなきを訴えたところ、それも致し方なからんと云つて来たので、…

親バカとしての岩波茂雄

岩波文庫創刊の謎を探るべく野上彌生子の日記*1を見る。 昭和2年5月31日 岩波書店の小林さん来訪。今度レクラムを学んで出すチープセリーズの件につきて。私の伝説の時代を入れることにする。 昭和2年6月27日 伝説時代*2を岩波文庫に入れるために春陽堂にも…

いつまで存在した「代謄写」?

これも「書物蔵」を見て覚えた言葉。「代謄写」。 『天羽英二日記・資料集』第5巻で見かけた。 昭和21年3月9日 時事通信社本年2月代謄写「輿論調査の方法The Pulse of Democracyを読む 大したことはないか大平に入用方勧める 天羽*1は当時戦犯容疑者として…

食養会と関根喜太郎(関根康喜)

関根と食養会の関係については昨年5月25日に言及したところであるが、『右翼事典』(双葉社)の巻末の「右翼・民族派運動年表」に謎の記述がある。明治40年の欄に月日不明として「食養会(関根唐喜)」と。 桜澤如一『石塚左玄』の「年譜」によれば、明治…

関根喜太郎と斎藤昌三

斎藤昌三の『東亜軟書考』(星光書院*1、昭和23年1月)の昭和22年6月26日付け「自序」によると、 「昨今問題の性関係号を如何に取扱ふべきか、過去の性関係の著書は如何に取扱はれたか、S君は此の問題について文献的検討をせよといふ」とある。この「S君」は…

関根喜太郎と星光書院再び

関根喜太郎については、昨年の6月23日に言及したけれど、再びネタにしてみよう。 金沢文圃閣の『戦後初期の出版社と文化人一覧』第4巻の「出版関係者人物索引」を使ってみる。 これによると、関根喜太郎が代表者を務める「文教出版」「火星社」の住所が…