神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

出版

その時歴史が動いた−岩波文庫の誕生−

今年は、岩波文庫が創刊されて八十周年の年。 何と、岩波文庫の誕生にあのトンデモない人が関与していたかもしれないことが判明した。 翌日、僕は卒論執筆中の二、三の質問をもって、三木の下宿*1を訪ねた。(略)「小島君、日本でレクラム版を出そうじゃな…

ここにも市河彦太郎の影が・・・

下嶋哲郎『謎の森に棲む古賀政男』(講談社、1998年7月)にも市河彦太郎の名前が。 古賀政男の昭和13年11月の日米親善音楽使節について、 古賀によれば、外務省の市河(彦太郎/文化事業部第三課長)が古賀に、 <フィンランド公使時代、レストランへゆくとか…

第一書房の長谷川巳之吉

長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』で、『セルパン』(昭和7年8月号)の「社中偶語」について、 話は玄文社時代に出版した坪内逍遥の「役の行者」に及び、「明治以来の小説戯曲が全部土塊に消え去つても此の作だけはいつか堀(ママ)り出され…

 プラトン社の根本茂太郎

プラトン社々員の根本茂太郎については、昨年8月23日に紹介したように坪内逍遥の日記に登場する。その他、泉鏡花の「玉造日記」(大阪朝日新聞大正13年7月21日〜9月6日)にも「丸の内ビルヂングに室のある、女性、苦楽の発行所、プラトン社の東京支社なる根…

プラトン社の『苦楽』創刊

「daily-sumus」によると、 アトリエ箱庭の主催で下記のような催しを行います。ぜひご参加ください。◉ プラトン社 大大阪のモダニズム出版社 ◎講 師=小野高裕(プラトン社コレクター)、林 哲夫(画家、装丁家) ◎と き=4月7日(土) 午後7時15分〜 …

未來社創業者西谷能雄の謎(その2)

国民精神文化研究所の所員であった志田延義や山本饒とは異なり、格下の助手であったためか、堀は戦後公職追放を免れ、昭和25年以降國學院大學、東北大学、東京大学、成城大学の教授を歴任。次に、未來社の創業者西谷能雄について、見てみよう。 西谷能雄(に…

未來社創業者西谷能雄の謎(その1)

未來社というブランドからイメージされるのは、丸山真男、宮本常一。 そのブランドから、古本本が刊行されるというから画期的といえば画期的、異色といえば異色。 向井透史『早稲田古本屋街』がその本だが、既に販売されているみたいだけど、まだ私は見てい…

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎

最終章 シュメールの黄昏(承前) 4 弘文堂と国民精神文化研究所所員山本饒 国民精神文化研究所助手、所員を務めた山本饒の公職追放該当事項は「著書」。具体的にどの著書が該当するのか不明*1であるが、どのような人物であったかある程度判明した。 小島威…

中山太陽堂を2週間で逃げ出した画家

中山太陽堂については、浜崎廣『女性誌の源流』に、 この『婦人世界』を支えていた広告*1は、創刊号(明治39年)から第10巻(大正4年)までは津村順天堂。第11巻(大正5年)から最終の第28巻(昭和8年)までは中山太陽堂*2であった。 とあり、『婦人世界』を…

プラトン社の終焉と斎藤茂吉

プラトン社と坪内逍遥については、8月23日に紹介したけれど、同社は斎藤茂吉の日記にも登場する。 大正14年2月16日 女性ノ清水氏ニ原稿*1ワタス 大正15年1月12日 女性ノ清水彌太郎来り。「現代百人一首」*2ヲ選ベト言フ。晶子ガ自派ノモノ35首エラビ、信綱ガ…

大正モダニズム下のプラトン社と坪内逍遥

プラトン社が、大正11年4月から発行していた雑誌『女性』については、『モダニズム出版社の光芒―プラトン社の1920年代』に詳しいが、『女性』の執筆者であった坪内逍遥の日記中にプラトン社が登場するので、関心のある人のために紹介しておこう。 大正11年9…

稲村徹元と関根康喜(関根喜太郎)

斎藤昌三『新富町多與里』(昭和25年1月、芋小屋山房発行。『斎藤昌三著作集第5巻』収録)中の「新富町多與里」附記によれば、 以上で「新富町だより」は終る。[昭和二十四年]五月には既述の如く木挽町に移転したが、従前通り火曜金曜は上京して、終日入り換…

八木敏夫と関根康喜(関根喜太郎)

「書物展望」15巻2号(昭和23年10月)の「新富町たより」に、斎藤昌三は次のように記していた。 五月十四日は再三辞退したが河西君の斡旋と、土岐善麿、小島烏水二老の主催で、小生の還暦小宴が催され誠に光栄だった。当日の参会者は宮武八十二翁を初め、土…

桜澤如一と関根康喜(関根喜太郎)(その4)

黒岩さんに言われて、今更ながら登場人物が多すぎることに気づいた。名前を出したのに、ネタに使うのを忘れてしまうのであった。 (その1)に登場した久邇宮朝融王殿下は、2月21日に言及したけれど、平凡社創設者下中彌三郎と色々行動を共にした人。櫻澤…

桜澤如一と関根康喜(関根喜太郎)(その3)

柴田宵曲の「柴田宵曲翁日録抄」(「日本古書通信」昭和59年5月号)中、昭和17年11月10日の条に、 森氏より電話あり、誠之書院の関根氏との会合けふになりたるよし、午後一時頃来訪、いろいろ話す。四時頃出でて驪山荘に行く。関根氏、後藤興善氏在…

桜澤如一と関根康喜(関根喜太郎)(その2)

関根と書物展望社とは、関係があるどころではなく、「書物展望」に頻繁に執筆している人物であった。昭和13年1月号の初登場(「読書界の現状とその将来」)における紹介では、「日本読書新聞社総務部長」とされている。同社は、昭和12年1月に創立され…

桜澤如一と関根康喜(関根喜太郎)(その1)

桜澤如一が顧問時代の食養会において、会長だった関根康喜については、3月15日に言及したけれど、小田光雄氏が既に「日本古書通信」で2回書いている(「関根康喜=関根喜太郎=荒川畔村」(平成16年10月号)、「池本三喜夫と関根喜太郎」(17年7…