『岩波茂雄への手紙』(岩波書店、2003年11月)を見ていたら、林達夫の昭和18年9月9日付け書簡に面白い記述がある。
かくて幸、岡正雄(民族研究所総務、岡書院の令弟)岩村忍(民族研究所員 新進東洋史家)茂森唯士、中島健蔵(帝大仏文講師)鈴木清(陸軍美術協会主事 元朝日企画部次長)及び経営のエキスパートとして北支・中支陸軍報道部の経営顧問をやつてゐた練達の士で、大阪商人に珍しい士魂商才の人物たる山本房次郎の援助を得て、こゝに東方社改組と再出発とに乗り出すことができました。
鈴木とか山本は従来の東方社の研究書には出てこない名前*1ではないかしら。
ところで、天羽英二が東方社の顧問*2だった関係で、彼の日記でも、岡や茂森の名前に出会えることができる。
昭和16年10月11日 夜 帝国「ホテル」岡正雄 川喜田澄子結婚式 若松只千佐夫婦媒酌
20年1月11日 茂森唯士来訪 日本クラブ 東方社ニ鈴木文史郎[ママ]ヲ顧問トセズ 参与トスルコトニ打合 其他会社組織ノ件
川喜田澄子は川喜田二郎の姉(パクってウィキペディアに書いちゃだめだよ)。
若松只千佐は若松只一少将(昭和12年8月大佐、14年8月少将)の誤記ではないかと思われるが不明。山口昌男先生知らないかしら。
建川は東方社総裁となった建川美次中将。昭和15年10月〜昭和17年3月駐ソ連大使。
鈴木文史朗は本名鈴木文四郎。朝日新聞東京本社出版局長。
茂森唯士は、『出版文化人名辞典』第1巻中の「現代執筆家一覧」によれば、「しげもりただし」と読み、東京外語露語卒。職歴:前駐ソ大使秘書、北支軍司令部参謀部嘱託。現職:日露通信社取締役兼主幹。所属団体:北方懇話会常任理事。
茂森は、戦後産業経済新聞論説委員。ググると出てきた。
追記:高円寺と高田馬場、岡茂雄と岡正雄。最近すぐ間違える組み合わせ。ヨコジュンさんも井上円了と井上哲次郎を混同したことがあるらしいが、年は取りたくないもの。そう言えば「みやこじま」行きが「みやけじま」行きに聞こえたりすることがあるぞ(汗