神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

出版

ますます古本臭くなってきた『ちくま』

林哲夫氏が表紙を描き、表紙裏にも「ふるほんのほこり」を執筆している筑摩書房のPR誌『ちくま』2月号は、いよいよ古本臭くなってきたぞ。今回の表紙は、「讃州堂書店」。また、連載中の荻原魚雷氏の「魚雷の眼」は新居格の話。新たに市川慎子さんのコラム…

三浦関造と中外新論社

三浦関造というと、どうしてもオカルティスト、ヨガというイメージが強いが、『日本近代文学大事典』にも立項されている文学者でもある。大正期の三浦の動静を、『中央文学』の「最近文壇消息」(のち「最近文藝消息」)でたどってみると、 発行年月 大正 8…

新聞記者にはならなかった催眠術師足助素一

大正4年4月10日付け足助素一の源二郎・義雄宛書簡(『足助素一集』所収)によると、 催眠術が頗る上手となつた。先年札幌に来て居た坂本某などのしたことは幼稚なものだよ。 プランセツトを使つて僕将来の運命を卜せしに僕ハ五月より神戸にて新聞記者たるこ…

森鴎外の見た「うさぎ屋誠」

柴田宵曲の「兔屋」(『煉瓦塔』所収)によると、 明治年間には講談本を出す兔屋といふ本屋があつた。鴎外の「心頭語」といふ文章を読むと、新聞に講談を連載することを論じた一節があつて、「兔屋一流の書體」とか「兔屋物」とか書いてある。今は殆ど忘れら…

やまと新聞記者山本実彦と宇都宮太郎

宇都宮太郎の日記は、軍部による資金援助の実態がわかり、非常に役に立つのだが、そういうキナ臭い話ばかり出てくるわけでもない。例えば、後に改造社を創業する山本実彦が、やまと新聞記者として登場する。 明治42年11月24日 やまと新聞記者山本某、(略)…

神保町のオタ風雲録

『本の雑誌』は多分買ったことはない。いや、SF冬の時代特集号は買ったかもしれないが、手元にはない。 改訂新装版の出た目黒考二『本の雑誌風雲録』の元版は何度読んだかわからない。改めてパラパラ見てたら、誰ぞ(書物奉行氏のことだ)に、ん十年前出会…

書籍切手の発案者うさぎ屋誠こと、望月誠(その2)

『近代料理書の世界』には、うさぎ屋誠について、前田愛『近代読者の成立』所収の「明治初期戯作出版の動向」からの引用もあるのだが、当該引用部分以外の所に、書籍切手に関する言及があるので紹介しておこう。 明治の新聞広告史は兎屋の誇大広告にその数ペ…

書籍切手の発案者うさぎ屋誠こと、望月誠

書籍切手の発案者の兎屋については、8月31日に言及したところである。このうさぎ屋誠、本名望月誠については、論文があるらしい。石塚純一「うさぎ屋誠考−明治初期のある出版人をめぐって」『比較文学論叢五 札幌大学文化学部紀要五』(2000年)がそれ。現物…

春陽堂の編集者島源四郎

春陽堂の編集者だった島源四郎については、5月30日、6月1日に言及したところであるが、岡本綺堂の日記*1でも発見したので紹介しておこう。 昭和3年10月15日 午後、近所を散歩して帰ると、春陽堂の島源四郎君が来て、日本戯曲全集十二月発行の分は岡本綺堂編…

甲鳥書林といふ素人の本屋

わしも甲鳥書林のネタを。『岩波茂雄への手紙』所収の昭和15年5月31日付け中谷宇吉郎の書簡によると、 実は小生の第二随筆集を纏めてをきたいと思つてゐましたのですが 四月一寸小林[勇]君に其の意向を漠然とつたへて見たところ御店の方では大分紙に難渋して…

関根喜太郎の幻(補足)

「書物蔵」で言及されていた大澤正道「関根康喜の思い出」*1に、関根が戦時中埼玉県吹上町に疎開していたことや、同町の地主の生まれと推定できることが書かれている。また、大正初年に既に土岐哀果の『生活と芸術』や堺利彦の『新社会』に「不平満々の短歌…

関根喜太郎の幻

宮澤賢治『春と修羅』(関根書店、大正13年4月)の発行人である関根喜太郎については、その生涯がかなり判明してきたところである。これまでに次のような研究がなされている。 『日本アナキズム運動人名事典』の「荒川畔村」の項(大月健氏執筆) 小田光雄氏…

堀内庸村と日本読書サークル

庄司徳太郎氏(筆名・庄司太郎)の『私家版・日配史』に昭和22年の事として、 十月十日(小雨) ・・・・新井氏*1の紹介で読書研究家の堀内庸村氏と会い、読書サークルの問題につき懇談した。 堀内庸村が出てきただす。「読書サークル」とは、同年11月11日に…

 朝日新聞記者西村真次を訴えた催眠術師

森銑三の恩師であった西村真次。森の「渋川玄耳の夢想した学校」『明治人物閑話』にも登場する。 玄耳が社会部長だった頃の「朝日新聞」には、社会の各方面の問題を連載記事として取上げて、有力な記者をして取材執筆に当らせている。評判のよかったそれらの…

 図書切符と書籍切手

「古書の森日記」に出てきた博文館発行の雑誌と書籍のみ引き替えられるチケットとしての「図書切符」。似たような「書籍切手」について、森銑三が『明治東京逸聞史』に書いていた。 書籍切手(同上[開花新聞]十七・三・二十五) 同紙に、兎屋で書籍切手を拵…

 神政書院の巌本善治と三浦関造

巌本善治というと、明治女学校とか『女学雑誌』が定番であるが、大東亜トンデモ学ともちびっと関係しているみたい。近代文学研究叢書第52巻の巌本の章によると、 やがて彼は、“明道の会”とも言われる「惟神会」を通じて「真の惟神の大道を開明し、国教を確立…

台湾愛書会のメンバー 

小林信行「若き日の島田謹二先生 書誌の側面から(3)」『比較文学研究』77号に、台湾愛書会が出てきた。 (昭和八年)四月十二日、三年前から台北帝大で同好者が集まって続けていた「書物の会」のメンバーで、台湾日日新報社社長河村徹、台湾総督府図書館…

 三浦関造と更新文学社

三浦関造が大正期に更新文学社という出版社を経営していことはあまり知られていないと思われる。 秋田雨雀に日記にこの出版社のことが出てくるので紹介しておこう。 大正5年9月2日 きょう、朝、もと弘前の牧師をしていた三浦開[ママ。以下同じ]造君が東[ママ…

『婦人画報』記者列伝(その7)

よい子は「ほげほげ」としてないで、今日は東京古書会館(最寄の駅は神保町又は新御茶ノ水)へ行きませう。 午後1時「モダニスト佐野繁次郎の装幀について+佐野本の集め方」(林哲夫+西村義孝) 午後4時「編集者・国木田独歩と謎の女写真師」(黒岩比佐子…

島源四郎物語

島源四郎の名前は幾つかの日記で見ることができる。 大正14年1月9日 春陽堂島源四郎来、鳶魚随筆三百頁以上のもの来る二十日に原稿渡すべきよし談合(略)(三田村鳶魚) 15年2月23日 晡時春陽堂店員島氏来りしかば、荷風文藁と名づけたる旧藁の出版を托す。…

改造社の山本実彦とカフェー

山本実彦ブームも一段落したかしら。 阿部次郎の日記に気になる一節がある。 昭和6年3月6日 (略)改造社で本の用件を話し山本に会ふ、夕刻岩波、茅野夫婦と打合をして六時新橋停車場にあひ濱作で夕食をよばれる、話しながら赤坂まで歩いて山本にあひカフエ…

 南天堂!

紀伊國屋書店の『scripta』第7号(2008年4月)で連載中の内堀弘「予感の本棚」第11回に、大正時代中頃に白山(文京区)で開店した南天堂が出てくる。 そんな時代の中で、南天堂はダダイスト、アナキスト、マヴォイストたちのサロンになっていた。 時代の過渡…

 三太郎の先輩

松宮春一郎の名前を再び見つけた。 大正7年9月1日 午後興亡史論刊行会の松宮春一郎氏来訪、十余年ぶりの対面なり。Wendland:Die hellenistisch-römische kultur の翻訳をたのまれ、心動きて引受しがあとで少しよんで見て自分ぢや出来ないと思ひ、石原と共訳…

中山太郎の後援者

森洋介氏が中山太郎の名前を出してきたので、隠し球を投入しちゃう。 中山太郎『校註諸國風俗問状答』(パルトス社、平成元年11月)所収の中島河太郎「中山太郎伝」*1によると、 大正十五年、早稲田大学校友の関係から永楽クラブの会員になったが、その中で…

三浦関造とカラマゾフの兄弟

久保忠夫「日本における『カラマゾフの兄弟』の最初の翻訳者」*1によると、 青山学院の校友会に三浦関造の消息を問い合わせたのは、ことしになってからであった。その返事に「三浦関造氏は七十余才」で益々御壮健にて印度哲学「ヨガ」を研究されております。…

 柳田國男の帰国を歓迎した凄い人達

大正10年12月に一旦ジュネーブから帰国した柳田國男の歓迎会が翌年の1月に開催されている。 一つは年譜に記載のある1月25日開催のエスぺランチストによる帰朝歓迎会である。 もう一つは、『柳田國男全集』第26巻に収録された『同人』第63号(大正11年3月15日…

 バハイ教徒アグネス・アレキサンダーとその時代

盲目の詩人エロシェンコは、中村屋サロンの一員で、全集もあり、また中村彝(つね)による肖像画でよく知られていると思うが、彼と親しかったアグネス・アレキサンダーについては、まったく知られていない。日本バハイ協会の代表であった女史については、既に…

松宮春一郎と水野葉舟と吉川英治のマンダラ

折口信夫『初稿・死者の書』所収の安藤礼二「光の曼陀羅−初稿『死者の書』解説」の次の一節。 しかし折口が、なぜ、この『世界聖典全集』を発行していた世界文庫刊行会、さらにはそれを主宰していた松宮春一郎とつながりができたのか、折口に関するあらゆる…

 伊上凡骨と斎藤茂吉の喧嘩

伊上凡骨の名前を見かけることは、ほとんどないのだが、たまたま斎藤茂吉の書簡中に発見。「北方人」日記さんは既にご存知かしら。大正10年10月16日付け杉浦翠子宛書簡(『斎藤茂吉全集』第33巻)によると、 ○「あらたま」の口絵、おもふやうに行かず、閉口…

『婦人画報』記者列伝(その6)

坪内逍遥の日記には、小佐井という名前の『婦人画報』の記者らしき人物も登場する。 大正12年8月10日 「婦人画報」の東京社へ「道風」を送る約をす(小佐井へ) 8月23日 「婦人画報」の小佐井来 この年の『婦人画報』11月号に逍遥の「歌劇小野道風」が掲載さ…