神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

春陽堂の番頭木呂子斗鬼次


木呂子斗鬼次は志賀直哉の日記にも出てくる。

大正15年3月2日 三月堂の前にて甘酒を呑み武者 浜本と別かれ、日暮れて帰宅、東京より春陽堂の番頭(木呂子斗鬼次)来てゐる 
        「或る朝」を四六版にして増版したしといふ、承知する。番頭九時半頃かへる


木呂子については、『志賀直哉全集』第16巻(岩波書店、2001年2月)中の「日記人名注・索引」によると、


 木呂子斗鬼次 きろこときじ 明治21・3・21−昭和32・10・24 出版業者。明治33年、春陽堂に入社、のちに支配人となった。

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京都工芸繊維大学美術工芸資料館では「第9回村野藤吾建築設計図展」。

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『図書』12月号は「特集『広辞苑』第六版」。