神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

清水彌太郎、プラトン社員にして読売新聞社員


プラトン社の清水彌太郎については、昨年9月6日に言及した。
『新聞人名辞典』第3巻(底本:新聞人名鑑昭和五年版)を見てたら、


清水彌太郎 読売新聞社文藝部長 (入社)大正7年6月 明治二十六年二月一日に生れ、早稲田大学卒業、市内某高女並に某女子専門学校の講師たりし事あり、以後は読売新聞に入り、文藝部外交約八ヶ年の後編輯員となり今日に至る


とあった。兼業が禁止されていたわけではないだろうから、読売新聞社員の清水がプラトン社員であっても不思議ではないのだが、同一人物とするには決め手に欠けていた。ところが、同一人物であることを示す記録(例によって日記)があった。


坪内逍遥の日記*1がそれで、

大正12年8月13日 「読売」の清水弥太郎、「女性」の用にて来、十月号へ「芸術教育論」をと、十一月なりと約す


とある。

*1:『未刊・坪内逍遥資料集』第3巻