神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『婦人画報』記者列伝(その4)


近事画報社時代に『婦人画報』の担当者だった枝元枝風については、昨年12月18日にも言及したけれど、追加の情報があるので紹介。


東京専門学校(早稲田大学の前身)文学科を明治34年に卒業。
この後の枝元が坪内逍遥の日記に出ている。

明治37年3月1日 夜枝元の件ニ付同人を諭す


    3月3日 枝元の書来る、おせき百人町に枝元を訪ひお照を諭す


    3月15日 枝元へ旅費15を渡す


    3月17日 午前納武津来、枝元の件


    3月23日 枝元大阪より通信 直ちに返書す


    6月28日 枝元生へ返書して 出京せよといひやる

「おせき」は逍遥夫人センの呼び名、「納武津」は枝元と同郷(鹿児島)で東京専門学校の同級生。何か事件があったみたいだが、不詳。


近事画報社については、『婦人画報』に明治40年1月1日退社の旨案内を出している。
この後は、『跡見花蹊日記』明治42年9月28日の条に「来客、毎日電報記者枝元氏」とある。『毎日電報』は、明治44年3月1日『東京日日新聞』と合併、この後は東京日日新聞記者ということになる。


なお、『郵便報知新聞』の記者だった枝元長辰と枝風(本名・長夫)の関係は不明だが、『明治新聞雑誌関係者略伝』によれば、長辰は明治29年1月14日没。

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噂の「百度」で「神保町系」を検索してもわすのブログがトップ。よかた、よかた。

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コミック・ガンボ』がいつのまにか休刊していた。ウィキペディアの同誌の解説では、なぜか、本田透原作の「喪男の哲学史」(作画 咲良)に言及してない。休刊はしたけど、ちゃんと国会図書館に納本していたのは偉いね。