昭和16年4月25日 朝甲鳥書林の鈴木氏来る。原稿を渡す。はじめは「叢林」とするつもりであつたが、それではあまり掻きあつめたものゝ気がする。をりから盛りの藤をおもひ、その一字を題にした。中川一政に表紙をたのむ事にする。旨く藤が描けるか知ら。
6月11日 午前甲鳥書林の鈴木氏に来て貰らひ、光明皇后の「藤」といふ文字と序文を渡す。
6月18日 夜鈴木君今度の随筆集「藤」の表紙の校正持参。
この「鈴木氏」であるが、林哲夫『古本デッサン帖』(青弓社、2001年7月)によると、甲鳥書林の後身養徳社の編輯部員の一人に鈴木治という人がいたそうだから、その人か。
*1:『野上彌生子全集』第Ⅱ期第7巻