神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

日本読書新聞社に送り込まれた刺客、関根康喜


関根康喜(=関根喜太郎=荒川畔村)と日本読書新聞社については、昨年5月25日に言及したところだけど、より詳しいことが、金亨燦『証言・朝鮮人のみた戦前期出版界』(出版ニュース社、1992年1月)に書いてあった。

前記の「懇話会」が発足してから、しばらく経ったあとのことだが(多分昭和十二年の晩秋)、いつとはなしに、東京出版協会で機関紙研究特別委員会の委員であった関根康喜氏が入社してきた。同氏は刀江書院の支配人格として活躍していた人で、齢は西村社長と大差なく、協会内での親交度も普通以上であった。私との関係は、新聞之新聞社時代に、いろいろと座談会を開いたが、その席によく出席してくれた、比較的顔見知りの仲である。その彼氏がなぜ、刀江書院を退めてまで「日読紙社」へ入り込んできたかというと、出版協会内に「日読紙浄化運動」とでも称すべき不平不満の動きがあって、その一味に押されて乗りこんできたらしい。そもそもの発端は、私が日読紙を牛耳っている、と誤解してのことらしい。


刀江書院と関根の関係については、既に小田光雄氏が、「古本屋散策(40)池本三喜夫と関根喜太郎」(『日本古書通信』平成17年7月号)で、池本三喜夫『仏蘭西農村物語』(刀江書院、昭和10年)の発行者名が関根喜太郎となっていることを紹介している。この小田氏の連載は、関根を始め、大槻憲二や柳沼澤介などでわすのブログのネタと重なっているね。もっとも、わしの方が、後から追いかけている形になっているけど・・・
小田氏には、一度くらいわしのブログを見てもらっているかしらね?


追記:『出版ニュース』5月中・下旬合併号の表紙はどこかで見たことがあると思ったら、ジュンク堂書店池袋本店だった(汗