黒岩比佐子さんが、『パンとペン』で茂木久平について早稲田大学中退としている*1のは、尾崎士郎の「売文社員」『青春記』の次の記述が根拠かもしれない*2。
小石川の護国寺裏に住んでいる江木久太は、六十すぎた母親と妹との三人暮しで、一次郎と同じ二十才だというのに、もう頭が額際から脳天にかけて薄く禿げあがっていた。死んだ彼の親父は明治の元勲である品川弥二郎の懐ろ刀といわれ、彼の家の押入れの中には、品川からきた手紙が何十通となく、反故と一緒に、積み重ねてあった。久太の話によると、彼の親父は親分の品川が初めて逓信大臣になったとき、秘書官になれ、と励められたのを断って、日本橋の郵便局長になった。(略)別々の事情で早稲田大学を中退で退学した一次郎と江木久太は、二人とも前後して売文社の社員になった。
(足助)一次郎が尾崎に、江木久太が茂木に当たると思われる。茂木の父親の親分が品川だったとは初耳だが、逓信大臣になったことはなく、内務大臣(明治24年6月〜25年3月)のことと思われる。
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昨日の朝日の「ザ・コラム」で編集委員の外岡秀俊氏が、「ジャーナリスト 非戦・人権、精神を受け継ぐ」と題して、
がん末期と知りながら死力を尽くして執筆した黒岩さんのパソコンには、「慢心するな。オマエは何サマなのか。謙虚に、慎重に、丁寧に」などと書いたメモが張られていた。ここ10年ほど、黒岩さんが師事してきた、むのさんの教えだった。
「権力に都合のいい歴史をひっくり返す。ひたむきに、命がけの抵抗をした」とむのさんは黒岩さんの急逝を惜しむ。
と書いていた。このメモについては、2月27日参照。
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明日は、千代田図書館で、講演会「戦前期の出版検閲と法制度」だすね。誰ぞも、出現する予感。
戦前期の出版検閲は法によってどのように規定され、検閲を行った内務省図書課とはいかなる機関だったのか。出版法制、組織体制、そして様々な禁止処分のかたちを通して、昭和初期を中心に出版検閲の実態についてお話しします。
日時 2011年3月11日(金)19:00〜20:30
講師 浅岡邦雄氏(中京大学准教授)
場所 千代田図書館9階 特設イベントスペース(18:30開場)
定員 40名(当日先着順・事前申込不要・参加無料)