神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

堺利彦とエロシェンコをつなぐコスモ倶楽部

大正期コスモ倶楽部なる団体が存在した。堺利彦が主宰していたようで、『大正十年四月十五日調 思想団体表』(内務省警保局)*1による*2と、

コスモ倶楽部
会員数:計76名
創立年月日:大正9年11月25日
主幹者住所・氏名:東京市麹町区麹町8丁目 堺利彦 明治3年生
趣旨綱領:本クラブは一定の趣旨又は綱領と称すへきものなく社会主義思想を抱懐せる各階級の本邦人を網羅するの外支那露西亜英領印度等の同志を糾合し世界的に其の聯絡を執らむとするものなり
役員及中心人物等の住所氏名:弁護士宮崎龍介支那人権熙国
会員 木村久一、大杉栄宮崎龍介下中弥三郎、長谷川萬次郎、赤松克麿、大山郁夫、植田好太郎、岩佐作太郎、吉田順司、石川三四郎、堺タメ、高津正道、近藤憲二、竹内義幹、原沢武之助、加藤一夫吉野作造 
支那人 兪顕庭、呉我 鮮人 林春涛、渥美鉄三 露人 エロシェンコ
脈絡:暁民会、新人会、日本社会主義同盟

この団体の設立については、黒岩比佐子さんによる堺の年譜にも記載はない。堺とエロシェンコとの関係はもっと調べる必要があるだろう。なお、この調査表によると、エロシェンコは、高津が主宰した暁民会の会員でもあった。

渥美鉄三については、『近代日本社会運動史人物大事典』の高津の項に、大正8年2月渥美、和田巌、三徳岩雄、稲村順一(正しくは、稲村隆一)、浅沼稲次郎、三宅正一、中名生幸力、本多秀麿らと早大雄弁会の左派で民人同盟会を結成した、とある。「鮮人」であったかは、未確認。

(参考)コスモ倶楽部については、松尾尊兌先生が「コスモ倶楽部小史」『京都橘女子大学研究紀要』26号を書いている。

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*1:『大正期思想団体視察人報告』所収。

*2:片仮名書きを平仮名書きに改めた。