「ジュンク堂書店日記」を掘り起こしてみた。
2005年1月22日
あれは、十年以上前の事だったろうか。筆者にとってジュンク堂ショックとも言うべき、最初の経験は、サンパル店からだった。
今思うと、少し薄暗い感じの店だったが、充実した専門書のラインアップだった。各種専門書について、他の大手の書店(梅田の紀伊國屋や京都の今はなき駸々堂書店など)でも見たことのない本がたくさんあり、ついつい買い込んだものである。
1万円以上買うと、店内の喫茶コーナーで使えるドリンク券がもらえるのもヒットであった。また、専門的雑誌のバックナンバーもかなり古いものまでそろっており、面白そうな論文が載った号を集めたりしていた。
その後、阪神・淡路大震災で半壊状態になり、再開後、被災した古書店数軒が同じ建物の真下の階に合同で引っ越してきたため、古書店と新刊書店の両方が楽しめるようになった。
ただし、喫茶コーナーは廃止されたように思う*1。
−続く−
(参考)『間島一雄書店 間島保夫追悼文集』(2004年12月)所収の「間島保夫年譜」によると、
昭和61年12月 神戸三宮のサンパルビル5階にサンパル古書のまちを8名*2で作り出店
平成6年10月*3 サンパル古書のまちは4名*4になり2階に移る
7年1月 阪神大震災で、被害を受ける。全壊で取り壊した須磨店在庫商品・倉庫の書籍を一時的に移す
4月 サンパル店再開店・避難所から自宅に戻る
9年9月 震災当日より書き留めていたメモをまとめ「罹災日録」を発行、震災後はじめての目録31号と一緒に発送
11年8月 阪急古書のまち店を閉める
13年8月 サンパル古書のまち店を閉めて、須磨区行幸町に事務所を建て移転する
16年2月20日 死去
これによると、震災の前から「サンパル古書のまち」はビルの5階から2階に移っていたようだ。
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なんか昨日は、一日中テレビとパソコンを見ていたが、「日本沈没」と「チャイナ・シンドローム」を見ているような一日であった。
阪神・淡路大震災からしばらくした後、神戸市消防局の職員が震災時の対応を振り返った部内誌(?)を海文堂書店で売っているというので、買いに行ったことがあったなあ。
古書目録は読んだらほかす(捨てる)ことにしているが、目録といっしょに送ってきた間島保夫『罹災日録』は、残してある。東北の古本屋さん達、早く復興できますように。
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各紙書評は休みと思ったが、毎日は載せているのかしら→http://mainichi.jp/enta/book/hondana
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この日本の非常事態時にもかかわらず、オタオタ日記を見に来る人が千人以上いるとは・・・
*1:佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』(新潮文庫)64頁によると、再開したことになっているが、少なくとも平成13年の現在地への移転までは、再開していた記憶がない。違っていたら、ごめんなさい
*2:同書所収の高尾寿男「[INAKA]という本」に「サンパル古書のまちを県下の七人と阪急古書のまちの臨川書店出身の久保田さん「五車堂」の八軒でオープンされました」とある。また、野村恒彦『神戸70s青春古書街図』(神戸新聞総合出版センター、2009年3月)によると、真ん中の通路を挟んで入口に近い方から、五車堂書店、間島一雄書店、山口書店、清泉堂倉地書店、ロードス書房、蝸牛、昭和堂書店、図研があった。
*3:野村氏の書には、サンパル2階で平成6年9月23日開店のチラシが載っている。