神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

堺利彦をしたう学生グループ

堺利彦早稲田大学明治大学の学生の交流があったことは、3月6日に書いた。尾崎士郎の「学校騒動」『早稲田大学』でも少し言及されている。

現在の西方は堺枯川の経営する、売文社に出入して、ひとかどの革命家を気取つてゐた。(略)その頃、堺枯川を中心とする幾つかの学生グループがあつて、帝大(現在の東大)からは、学校内に新人会といふ組織をつくつてゐる宮崎龍介赤松克麿、三輪寿壮、新明正道等の学生が堺の家の出入りをしてゐたし、明治大学からは佐々木味津三、村瀬武比古等が別のグループをつくつてちかづいてゐた。その中で、売文社系統の実際運動に直接関係してゐるのは早稲田大学に籍をおいてゐる西方現助と青木公平だけである。その証拠にはこの二人には必ず尾行がつき、時によつては、尾行も一人だけではなく、学校の表門と裏門に立つて授業が終つて出てくるのを待つてゐることもあつた。

「西方現助」が尾崎士郎、「青木公平」が茂木久平と思われる。青木は、眼鏡をかけ、若いくせに脳天までつるつるに禿げた頭ににじむ汗を絶えず手拭でふいていた、とも描写されている。

(参考)3月10日