神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

戦後の茂木久平を太田耕造の日記に見る

学校法人亜細亜学園理事長(昭和29年5月〜31年8月)・亜細亜大学学長(昭和30年4月〜56年11月)だった太田耕造の日記*1に茂木久平を発見。

昭和29年10月14日 十二時、陶々亭に赴き、彭、田、藤原君と会談(略)了て同所にて早川君、丹羽喬四郎、五郎丸、茂木久平君と会談。

    12月2日 五時、陶々亭に赴く、茂木後援会懇談会に出席。

  38年3月6日 五時半、陶々亭に於ける茂木久平君都会議員候補に関し、友人集会協議、九時帰る。

  40年1月7日 留守中、八田裕夫君、茂木久平君夫人、関場信治郎君夫人、倅外来訪。

佐野眞一氏の書によると、茂木は昭和30年とそれとは別の年(上記によると38年のようだ)に都議会議員選挙に立候補しているが、いずれも落選とのこと。

(参考)陶々亭については、2009年10月9日参照。

*1:『太田耕造全集第三巻』。片仮名書きを平仮名書きに改めた。なお、同書には「昭和33年2月、茂木久平氏会合」とキャプションのある口絵写真が掲載されている。