売文社の社員だった茂木久平について、黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)は、
早稲田の学生時代には大杉栄に心酔し、『近代思想』を愛読していた茂木が、その大杉を虐殺した犯人とされている甘粕と深い関係を持つようになるとは、これまた奇怪というほかはない。
と書いている。この茂木の経歴については、佐野眞一の『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮文庫)に詳しいが、『第四版満洲紳士録』(昭和18年12月)にも書かれていて、佐野の書に記載のない事項もあるので、紹介しておこう。
茂木久平 勲六等、満洲映画協会(株)常務理事兼東京支社長、華北電影(股)董事兼東京支社長、康徳会館(株)社長、中華電影聨合(股)顧問、大東亜省嘱託
[出生]明治31年2月東京都本所区松井町*1
[本籍]同麹町区平河町
[続柄]百太郎五男
[学歴]大正7年早大政経科中退*2
[経歴]大正15年東京市会議員選出、昭和3年ヤマト新聞副社長*3、13年漢口軍特務部産業経済班長*4、14年湖北省政府顧問兼務、康徳7(昭和15)年11月満映入社*5理事に就任、次で常務となる
[家族]妻タケ(明治32年東京都岩田松太郎次女)
[住所]東京都赤坂区氷川町一七注:(股)は股份有限公司の略
茂木は、戦後「満洲映画協会常務理事」を理由として公職追放。敗戦時に満洲にいれば引揚げには苦労しただろうが、東京にいたのだろうか。
(参考)1月14日、3月6日、3月19日。3月6日に出てくる「大化会」は、『大正十三年度特別要視察人竝水平社状勢調』によると、
大化会
所在地:中込区市ヶ谷加賀町二ノ五
創立年月:大正13(ママ)年6月
主旨綱領の概要:本会は日本の対世界的使命を全国民に理解せしめ以て日本の合理的改造を断行する根本的勢力たるを目的とし奴隷的日本の旧思想を排斥し同時に欧米思想的革命論を排斥す
中心人物氏名:岩田富美夫、茂木久平、小山勝蔵、山中利一、鈴木藤吉