神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

岡崎市立図書館長中村和之雄

昨年、岡崎市立図書館である事件*1が起きたが、戦前にもちょっとした事件があった。
昭和18年から同図書館に勤務した福岡寿一の『風塵録』(武蔵野書房、1990年4月)によると、

「罪 万死に値いす」 館長の中村和之雄という人物のことは、以前「ある奇人伝」に書いたからここではふれないが、この人の他のことは一切眼をつぶるとしても、私がどうしても許せないのは、彼の怠慢からこのかけがえのない柴田顕正畢生の大作(最終刊三巻分)をミスミス空襲で焼いてしまったことである。現に評論家の本多秋五さんも(略)中村和之雄のような人間は「地獄に閻魔の庁というものがあるなら、こういう人は刀の林、火の池に投げこまれてもいい人でしょう」とまでいっているが、全くその通りである。

柴田顕正(1873-1940)は、同図書館創立期の館長で、『岡崎市史』の執筆者である。福岡によると、空襲が激しくなった頃、館長室の隣の部屋に放置されている柴田が書いた「市史・人物篇」の原稿について、中村館長に「整理(清書)を私にやらせてほしい」と申し入れたという。ところが、「原稿はすぐにも印刷にまわして出版する」と言って、柴田の未亡人から「故人も喜ぶことでしょう、どうかよろしく頼みますよ」と念を押されて原稿を受け取っておきながら、隣室に放りっぱなしだった館長は、福岡に原稿のことを言われて、「市史の原稿だって?」と、ケロリと忘れていたという。そして、福岡の申入れを断っただけでなく、「今後そういう話は一切司書を通してするように」と、出入り禁止を言い渡す。これ以前からも、福岡と館長の間には色々あって、図書の疎開について受入れの内諾を得た寺院の名まであげて進言したこともあったが、結局握りつぶされたままだった。その頃、そういうことを館長に持ち込んでいくのは福岡だけで、それやこれやで敬遠されていたという。結局、同図書館は昭和20年7月20日の空襲で焼失してしまうことになる。

この中村は、『第十四版大衆人事録 北海道・奥羽・関東・中部篇』(昭和18年3月)で中村和之助(ママ)(市立図書館長、岡崎市康生町一一〇)としてあがっている明治9年4月生、34年東大哲学科卒、七高造士館・小樽高商教授歴任の人物だろうか。

*1:岡崎市立中央図書館事件