神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

2007-01-01から1年間の記事一覧

今日は森見登美彦

今日の夜11時からNHK教育の「トップランナー」に森見登美彦登場。写真でない森見を見るのは初めて。下鴨神社の古本市にこだわる理由について語ってくれないかしら*1。→9月30日参照 何年も前、賀茂大橋を渡るバスから下を見ると、亀の形をした飛び石に横たわ…

 外務省情報部事務嘱託としての小野秀雄

小野秀雄の『新聞研究五十年』には、 ところが、昭和十二年七月には、第一回洋行の時、イタリアの日本大使館で知り合った矢代重徳君の紹介で私は外務省事務嘱託となった。 外務省情報部長だった天羽英二の日記を見ると、 昭和11年9月19日 昼 小野賢一郎秀雄…

オタどん、書物奉行氏にかわされる

ゴーン。四天王寺の北鐘堂の鐘が鳴っている。既に、シートをめくり、開店している店もあるようだ。 しかし、100円均一コーナーはブルーシートに覆われていた。アナウンスをしている。 「均一コーナーは10時開店の時間厳守です。奥のシートからめくって行きま…

宮武外骨も邪教撲滅

大正期、中村古峡が邪教撲滅に力をいれていたことは、よく知られていると思うが、宮武外骨は太霊道を攻撃していたようだ。 『スコブル』17号(大正7年3月)*1中の「太霊道主元院下詐欺的大山師田中守平」によると、 太霊道は同年2月12日の『東京朝日新聞』に…

近づく村井弦斎展

『彷書月刊』10月号の「特集◎本の虫[インタビュー]魯庵のアルバム」で村井弦斎の名前を見た。 堀内 こんなちっちゃな日記が三冊。 河内 大正二年のものと、一九二四年の上半期、下半期ですね。 内田 読めますか? 河内 <九月二十五日、上野へ行く・・・神田…

 あんたも好きねえ!

小谷野敦『日本の有名一族:近代エスタブリッシュメントの系図集』(幻冬舎新書)を読む。何やら色々調べていることは知っていたけれど、本書執筆のためだったのだ。「へえ〜」の百連発位のインパクトがあるトリビア満載の書。「おまえ、そんな事も知らなか…

童貞ブーム来るか(笑

『ダ・ヴィンチ』を見てたら、「『童貞川柳』発売記念」という記事があった。 小谷野氏の『童貞小説集』(ちくま文庫)も出たところ。 純愛ブームというのは、数年置きに起きるみたいだけど、さすがに童貞ブームというのはなさそう・・・ 今日の日記は、猫猫…

「安月給、つい出来心で」と、帝国図書館員

宮武外骨さんの『赤』5号(大正8年11月1日発行)の「驚くべき諸物価暴騰の悪影響/帝国図書館の乱脈」という見出しの記事。 (前略)同館に於ける図書出納係の少年給仕等は、殆んど昼夜休み無しの繁劇な職務であるのに、之に対する報酬は僅に日給三四十銭位…

森見登美彦の「京大小説」なるものを見る

森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』を読む。 学園祭が舞台の一つに使われていて、「ビューティフル・ドリーマー」を連想した。 盟友の書物奉行氏が「京大小説」と名づけているものの、特に京大固有の話はないので、京大のことを知らない人でも楽しめるはずで…

『婦人文芸』の中村古峡

『彷書月刊』1986年6・7月号の「『婦人文芸』総目次(2)」「同(3)」によると、中村の「狂人の手記」「同」「同<三>」「同<四>」が、『婦人文芸』の14号(1915年9月)、15号(同年10月)、16号(同年12月)、18号(1916年3月)に、「尊[ママ]長の家−…

まさか、あの小野法順か!?

小野法順といって、その名前に心当たりのある人は、谷崎潤一郎の研究者だけであろうか。いや、谷崎の研究者でも小野の名前を覚えている人は少ないだろう。 明治45年6月末、汽車恐怖症だった谷崎が東京へ戻る際に、名古屋まで付き添った人である。 『天羽英二…

神保町ワンダーランドは売れない本の山

本好きの人にとっては、神保町全体がワンダーランドみたいなもの。そのワンダーランドを店名にした古書店がかつてあった。 1979年10月に開店しているが、開店まもないそのワンダーランドをma-tango氏は訪ねたことがあるという。さすが、あの『幻想文学』誌の…

 国民精神文化研究所とスメラ学塾・皇戦会の関係

荻野富士夫氏(小樽商科大学教授)が書かれた『思想検事』(岩波新書)は、内容はすっかり忘れてしまったが、有益な書と感じたことだけは覚えている。その荻野氏の『戦前文部省の治安機能−「思想統制」から「教学練成」へ』(校倉書房、2007年7月)を読んだ…

皇戦会理事長中岡彌高の対ソ連工作

皇戦会理事長だった中岡彌高とともに仲小路彰の名前が木戸幸一の日記に出ている。 昭和19年2月28日 三時官舎に至り、中岡彌高中将、仲小路彰氏と面談、戦争の見透と転換策としての独ソ和平の斡旋等の問題に関し意見ありたり。 9月11日 二時半官舎に至る。三…

今日も居眠り、田中稲城帝国図書館長

宮武外骨の『スコブル』15号(大正7年1月)所収の「十年一日の如き人(上)」によると、 ・田中稲城は十年一日の如く図書館で居睡り 現国会図書館長は居眠りしているヒマはなさそう。 追記:黒岩比佐子さんが「本郷カッフェ」を発見。何と一時期、早稲田に支…

永代静雄と満蒙研究所(補遺)

永代静雄と坂口二郎・大蔵公望について、書き忘れたことがあった。 坂口・大蔵は永代が昭和17年に創設した「大東亜伝書鳩総聯盟」の創立賛成人である。 この創立賛成人については、5月30日に紹介したところだけど、そこで挙げた人の他には、次のような名前も…

 早稲田文学「けものみち」化計画

フリーペーパーの『WB』で「けものみち計画の文豪擬獣化宣言」(文:南陀楼綾繁、画:内澤旬子)スタート。第1回は「内田百輭=フクロウ」。「nanakikae」さんの「日々是懶夢」も開始。凄いことになってきやがった。 - 小谷野敦「わたしの好きな学者たち」…

 満蒙資料協会と『中国紳士録』

永代静雄の「満蒙研究所」については、よくわからなかったが、「満蒙資料協会」というのを見つけた。 『昭和十八年版日本文化団体年鑑』(『戦時下日本文化団体事典』第3巻で復刻)によると、 所在地 東京都麻布区市兵衛町一ノ六 電話赤坂一二一八 役員 主幹…

「童貞放浪記」対『セックス放浪記』

中村うさぎの『セックス放浪記』(新潮社)を見る。中身は読んでいないが、タイトルを見て猫猫先生の「童貞放浪記」(『文學界』10月号)と対にしてみた。中村の本には、猫猫先生の天敵(?)の佐藤優との対談までついている(笑 追記:『散歩の達人』10月号…

永代静雄と満蒙研究所

永代静雄は、田山花袋「蒲団」の田中秀夫のモデル 本邦における『不思議の国のアリス』の最初の翻訳者 「永代湘南」名義でSFを執筆(横田順彌氏の説) 新聞研究所の創設 伝書鳩の愛好家(3月23日、5月30日参照) として知られているが、別の顔を発見した。…

中村古峡と吉野作造

吉野作造の日記*1に中村古峡が登場。吉野が、中村の創設した日本精神医学会の賛助員だった関係か。 大正13年7月1日 昼頃学校に行く 昼飯は食はず中村古峡君と食堂に遇ふ約束を朝電話でしたのを頓と忘れる 一時頃食堂から帰った平野君に注意されて駆けゆく 別…

 宮武外骨と松本君平

宮武外骨の『スコブル』13号(大正6年11月)中の長鋏生「変われば変る耶蘇教徒」に松本君平が出てきた。 ma-tango氏が記事にしている松本と同一人物と思われる。 △宣教師の通弁であつた松本君平は、今は霊命教を興して黙徳大祖と名乗つて居る ちなみに、ma-t…

「同情するなら金をくれ」と、坂本紅蓮洞言い

奇人と言えば、この人も挙げておかねば。グレさんこと、坂本紅蓮洞。同じく奇人として知られる宮武外骨の『スコブル』14号(大正6年12月)の「地獄耳」によると、 ▼例の坂本紅蓮洞は竹本綾之助方の家庭教師に成つて、息子に数学を教へて居たが、それも縁切れ…

ツンデレの男性版、オラニャン

ツンデレに対して、オラニャン*1という若者語があるらしい。「L25」による。 「日本語俗語辞書」というサイトがあるとのこと。 わすもオラニャンすたいだす(笑 *1:普段「オラオラ」と強気で男っぽいが、彼女など異性と二人きりになると「ニャンニャン」と甘…

大賀寿吉と坪内逍遥

民間のダンテ研究者大賀寿吉が坪内逍遥の日記に出てきた。 大正10年11月26日 午前九時三十八分 東京駅より特急ニテ大阪行(中略)車中にて大阪の薬種商、もと同志社出身 ダンテ研究の大賀寿吉と会談、夜八時十八分梅田着、石割、毛利、士行、辰巳正直ら八九…

森見登美彦と吉田寮

『小説現代』9月号での森見登美彦と柴崎友香の対談。 柴崎 (前略)私、吉田寮(京都大学吉田キャンパス吉田南構内と隣接する自治寮)でのイベントとか行きましたよ。 森見 ほんまですか!?僕は学生寮の類いには足を踏み入れたことがないんですよ。知り合い…

大阪の奇人岡田播陽

辻潤の周辺にいた奇人。『癡人の独語』(書物展望社、昭和10年8月、『辻潤全集』3巻)所収の「おうこんとれいる」によると、 知人にも坊さんがいる。高光大船氏などはそのひとりであるが、毎月送ってもらう「直道」という氏の個人雑誌は私の愛読するところで…

市島春城と紅療法

市島春城の日記*1に紅療法(といっても、よく知らないが)が出てきた。 明治41年3月24日 松原九郎より、紅料塗擦神経療法の書類を贈らる。 松原九郎は不詳。 *1:『早稲田大学図書館紀要』39号

 沼波瓊音と栗原古城のお筆先

沼波武夫(瓊音)は大正5年2月から一時期巣鴨の至誠殿で信仰生活に入っていたとされる。この時期の沼波の様子が幸田露伴の日記*1に出てくる。 大正5年4月17日 夜沼彼[ママ]武雄[ママ]栗原元吉来る。二人降神術の如き事を語る。所謂御筆さきによつて古今の事…

台北帝国大学図書室の岩石正夫

坪内逍遥の日記*1に、 昭和9年10月1日 台北大学図書室の校友岩石正夫へ 台湾人形を演博へ寄贈の礼をいひやる(西岡某上京云々) とあった。残念ながら澤田兼吉とかいう人は出てこないだすね。 *1:『未刊・坪内逍遥資料集』6巻