2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧
昨日の手塚治虫を見て思ったことあれこれ。 オタどんが「ライフワーク」という言葉に初めて出会ったのは、『火の鳥』であった。「手塚治虫先生のライフワーク(一生を通して追い求める作品・課題)である『火の鳥』」とかいう一節だったと思われる。その語感…
里見とん、佐藤春夫、菊池寛、徳田秋声が発起人となって開催された*1「文藝家主催の改造社十年祝賀会」については、室生犀星の日記に記載がある。 昭和4年4月24日*2 星ケ丘茶寮に行く、改造社長招待宴。長與、里見、鏡花、秋聲、春夫、與一氏等と会ふ。山本…
三浦関造というと、どうしてもオカルティスト、ヨガというイメージが強いが、『日本近代文学大事典』にも立項されている文学者でもある。大正期の三浦の動静を、『中央文学』の「最近文壇消息」(のち「最近文藝消息」)でたどってみると、 発行年月 大正 8…
幸田露伴の知人に、戦前ムー大陸を紹介した片岡貢司なる人物がいたことは2006年6月15日、同年11月4日、昨年11月13日に紹介したところである。この人らしき人物が斎藤茂吉の日記に出ていた。 昭和19年10月31日 ○露伴先生ニ招ガレ晩餐、(内田誠一明治製菓株式…
安藤礼二『光の曼陀羅 日本文学論』(講談社)を読む。「身毒丸変幻 折口信夫の「同性愛」」*1に「大波小波」の匿名批評が出てくる。 ここにこのような論考を発表するきっかけとなったのは、『群像』二〇〇五年七月号に掲載された折口信夫の新発見資料とその…
小林一郎先生作成の田山花袋年譜から里見とんと同席した会合を拾ってみる*1と、 年月日 会合名 場所 他の出席者 大正13年5月10日 第十四回新潮合評会 小石川偕楽園 久米正雄、宇野浩二、加能作次郎、葛西善蔵、久保田万太郎、近松秋江、中村武羅夫ら 10月 プ…
里見とん伝に、里見が大杉栄や小林せい子(谷崎潤一郎の妻千代の妹)と親しかったことが書かれている*1。このことについては、宇野浩二の『文学の三十年』にも出ていた。 (略)私が、仕事をするために、実は仕事はあまり出来なかつたけれど、鵠沼の東家に十…
これも戦時下の里見とんの一エピソード。徳田秋聲の日記*1によると、 昭和16年11月15日 この日鎌倉ペンクラブで小杉天外氏の喜寿の宴あり、それに先立ち二時から第一国民学校の講演に臨む。十一時何十分かの汽車で行つたのだが、著いてみると、時間はやゝ早…
小熊虎之助が「現代変態心理考」(『行動』昭和10年5月号)で霊術家に言及している。 私は昭和八年に△△△で○○氏の御好意によつて、東京市内で開業してゐるこの類の治療家の住所姓名を残らず調べて貰つたことがある。(略)しかるに昭和五年十二月から八月[マ…
ん、「森茉莉街道をゆく」のちわみさんに呼ばれたやうな気がする。 森茉莉の日記を青木正美氏が入手したことは、今月号の『日本古書通信』以前にも、『古本市場掘出し奇譚』(日本古書通信社、1986年10月)に書いている。重複をいとわず、紹介すると、 もう…
先日の「東大落城」にも出ていた佐々淳行。その『戦時少年佐々淳行 父と母と伊藤先生』によると、母縫子は、東京帝国大学文学部長兼図書館長だった和田万吉の長女だという。父は、佐々弘雄。淳行は父について次のように書いている。 ぼくが佐々家に呱々の声…
神代文字信奉者の一人である河村圭三については昨年4月18日に言及したが、神代文化研究会の発会員の一人だった。 森克明「神代史運動と中里義美」によると、 天津教の教勢拡大と軌を一にして、以前より『竹内文献』の研究を志向していた高窪喜八郎は、昭和十…
里見とんの愛人お良の写真が、小谷野敦氏の里見伝に出ている。そのお良と里見の二人を野上彌生子が目撃していた。 野上の日記*1によると、 昭和11年11月28日 岡田さん夕方近く来る。うちでおさうざいで食事をしていつしよに創作座の大地*2を見物に行く。(略…
岸田劉生の日記*1に若き日の外交官市河彦太郎らしき人物が出てくる。 大正11年6月28日 今日夕方から改造社に精養軒を招ばれてゐる。(略)改造社の招待は余一人かと思つたら改造社へ寄稿する人たちの会で少し閉口する。永井潜だの、末弘厳太郎だの、玉つき?…
谷崎潤一郎に比べると中央公論社との関わりは圧倒的に少ないが、それでも『中央公論社の八十年』巻末の年表に多少名前が出てくる。 昭和3年9月25日 吉野作造、山本改造社社長、徳田秋声、近松秋江、正宗白鳥、里見弓享らの発企により、中央公論社の新旧社長…
誰ぞが戦前の外交官市河彦太郎の写真をアップしてくれたので、わしもとっておいた市河ネタを投入。 昭和2年3月11日付け林達夫の谷川徹三宛書簡に「市河氏に丸善で会ひました。日英商業会話の本棚のところで。シカゴへ行くさうです」とある。最初「市河氏」は…
後に読書運動にかかわる市河彦太郎。中学校時代、芹沢光治良ら文学好きの仲間と『たんぽぽ』という同人誌を作っていた。命名は市河で、作品は作者の精神の胞子のようなもので、読者の所へ飛んで行き、その心に作者の精神の種子を蒔くことから、名付けたとい…
『波』で美術史家の青木茂氏が丹尾安典*1『男色の景色−いはねばこそあれ−』(新潮社)の紹介をしていた。大杉栄と中村彝の兄、会津八一と世良延雄、片上伸と井伏鱒二と青木南八、三島由紀夫と堂本正樹・森田必勝、中原淳一と高英男などの関係が書かれている…
高村光太郎も歌舞伎座で村井弦斎原作の「櫻の御所」を見ていた。光太郎の日記「彫塑雑記」によると、 明治37年4月11日 午後一時三十分より開場の歌舞伎座へゆく。(略)狂言は弦斎の櫻の御所、鴎外の日蓮辻説法、二番目は戦争物也。八百蔵の日蓮は案外に見ら…
京橋の国立近代美術館フィルムセンターでは「怪獣・SF映画特集」が始まっている。 毎日でも見に行きたいようなラインナップである。 ガメラ対ギャオス、見たいだすね。 - 日本プラモデル工業協同組合編『日本プラモデル50年史 1958-2008』(文藝春秋)。誰…
ちゃっぷいので冬眠しようかと思っていたら、目が覚めた。 読売新聞の今年の読書委員の中に黒岩比佐子さんの名前を発見。 執筆活動をしながらの書評も大変かと思いますが、がんばってください。
一筋縄ではいかない高村光太郎周辺の人物として、遠藤順治という人がいた。10月21日に紹介したところであるが、松宮春一郎の世界文庫刊行会に勤めていた箱木一郎の知り合いだったようだ。この遠藤だが、宮崎虎之助の信者だったようだ。虎之助の夫人光子の遺…
『喜多村緑郎日記』にもしばしば里見とんの名前が出てくるが、そのうちの大正15年4月14日の条から。 七時に新町の西村へ行く。里見、久米夫婦、中戸川、と初対面の志賀直哉氏とその令弟、その外に一人鎌倉の方の人と云ふのがゐて、菱富を馳走になる。 中戸川…
昭和11年9月9日付け川端秀子の康成宛書簡によると、 昨夜七時から第一小学校で久米さんの応援演舌会があり、菊池、里見、大佛、久米さんがお出になりましたさうで、林さん*1に、誘はれましたが出かけませんでした。 里見らの応援の効果があったか、久米正雄…
北海道出版企画センターの『北海道の出版文化史 幕末から昭和まで』は、高いし、分厚いしで、手が出ずにいる。こういう本が出ると、書肆アクセスを思い出す。入ってすぐ右手が北海道のコーナー。棚の最上部に『高倉新一郎著作集』があったね。 一時期毎夏、…
跡見花蹊の日記に「上野絵端書会」というのが出てくる。 明治38年9月16日 朝、上野絵端書会を見る。珍ら敷もの数多あり。 絵葉書ブームが起きていた頃だが、どういう会(展覧会?)だろう。 - 荒木瑞子『ふたりの出版人―アオイ書房・志茂太郎と昭森社・森谷…
しばらくおこもりするみたい。わすも見られないだす・・・ - 『SAPIO』、『週刊朝日』で猫猫先生の名前を見付ける。 読売の人生案内、回答者に「眉村卓」とか「最相葉月」とか凄いメンバー。黒岩比佐子さん、岡崎武志氏が登場する日も近い!?
そろそろ現実社会へ復帰せねば。 「真の旅は帰還である」(アーシュラ・K・ル=グウィン)だっけ? て、いったい、わすはどこへ帰還するのだらう。 誰ぞが、しょぼーんとしているので、わすもしょぼーん。 - 正月に古本屋が3軒も開いている地域は日本でここ…
神保町の書店は今日あたりから開くらしい。 都立中央図書館ではリニュアール・オープンを記念して4日から「都立図書館100年の歩み展」をやるらしい
四方田犬彦が『ハイスクール1968』の続編『歳月の鉛』を工作舎から刊行することは、『出版ニュース』の執筆予定に書いてあった。より詳しいことは、『WB』連載中の「星とともに走る」の「『歳月の鉛』を書き終えて」に書かれている。 おそらく今度の本はわ…