一筋縄ではいかない高村光太郎周辺の人物として、遠藤順治という人がいた。10月21日に紹介したところであるが、松宮春一郎の世界文庫刊行会に勤めていた箱木一郎の知り合いだったようだ。この遠藤だが、宮崎虎之助の信者だったようだ。虎之助の夫人光子の遺稿などを集めた『聖女光子の声』(大正6年10月、神生教壇)の編者の名前が遠藤順治である。
同書の「附録 光子女子に於ける諸家の感想」には、飯森正芳、三浦関造、高島米峰、武者小路実篤、江渡幸三郎、石田友治・みつじ夫妻、秋田雨雀、三浦修吾、福来友吉、西川文子、長谷川時雨、高田集蔵らが執筆している。その中に、文藝家河合秋星という名前がある。
この河合が問題の人物で、秋田の日記で、秋田と共にリシャールやアレキサンダー女史に出会っている河合と同一人物と思われる*1。
大正5年7月7日 夜、リシャール氏訪問。河合君、石田君と茗荷谷のリシャール氏を訪問した。暑いのでヴェランダにでて五人で話した。ポール・リシャールはりっぱな学者だ。日本の神道のことについていろいろ質問した。日本の宗教について興味をもっているらしい。
河合は、文藝家ということなので、リシャールやアレキサンダー女史に関する著作のあることが期待される。
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「故・諏訪根自子(すわねじこ)さん」との記述を発見。ガセネタかもしれないので、要確認。