神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

高窪喜八郎と神代文化研究会


神代文字信奉者の一人である河村圭三については昨年4月18日に言及したが、神代文化研究会の発会員の一人だった。
森克明「神代史運動と中里義美」によると、

天津教の教勢拡大と軌を一にして、以前より『竹内文献』の研究を志向していた高窪喜八郎は、昭和十年七月頃「神代文化研究会」を結成した。直接には、大分県の上記研究家安藤一馬の『上記』出版を後援することを目的に結成されたといわれるが、高窪自身が『竹内文献』の信奉者であり、「神代文化研究会」は単純に『上記』出版のための後援団体ではなかったのではないかと思われるのである。その徴証として、『同会発会員名簿』をあげることができる。そこには、安藤以下十六人の名が掲げられている。中でも、
  河村圭三、沢田健、田多井四郎治、高窪喜八郎、高窪静江、鳥谷幡山
はいずれも、『竹内文献』支持者であって、これらの人物が参加している以上、当然天津教の外郭団体であったと思わざるを得ないのである。


という。ここに名前の出てくる高窪静江は喜八郎の長女(明治39年生)である。そして、その親子ほど年の離れた弟利一(昭和5年生)が統教授の父に当たる。


(参考)『大衆人事録』(昭和17年10月)によれば、高窪喜八郎は、明治6年8月生。法博、中大教授、法律評論社主幹、弁護士。明治31年東京法学院卒、大正11年学位を受ける。妻テウ子(明治23年生)は東京府平井長太郎五女。

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「キモカワ」、「ブサカワ」の並びで、わすも「オタカワ」(オタだけどカワイイ)といわれないかすら(笑)

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確かに、とん伝は「好評」のようだ。かの東京新聞*1の「大波小波」欄で、「ともしび」氏が「力作」とほめていた。「売れ筋ばかりを狙う出版界を無視するかのような良書」が年末に二冊出たとして、もう一冊に紅野敏郎の『「學鐙」を読む』』(雄松堂)を挙げる妙技。

*1:1月16日夕刊