三浦関造というと、どうしてもオカルティスト、ヨガというイメージが強いが、『日本近代文学大事典』にも立項されている文学者でもある。大正期の三浦の動静を、『中央文学』の「最近文壇消息」(のち「最近文藝消息」)でたどってみると、
発行年月
大正
8年4月 三浦関造氏 四百枚程の処女作長篇小説を執筆中
5月 三浦関造氏 中外新論社に入る
10年9月 三浦関造氏息英彦君を喪ふ
更新文学社*1を興し、自然社にも関与している*2三浦だが、中外新論社にも在籍していたらしい。
(参考)『日本出版百年史年表』によると、中外新論社は、小松緑主宰の出版社で、月刊誌『中外新論』を大正6年10月に創刊。
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「サッポロロフト古書の街」。こりは、ぬくくなったら、やはりトチゲキか。
↓『美人作家は二度死ぬ』が出てた。「あとがき」によると、表題作の元となった短編「山室なつ子の生涯」は宇野常寛氏も面白いと言っていたらしい。
「北方人日記」によると、山下武『書斎の憂愁』(日本古書通信社)が出たらしい。氏が青弓社から出した古本本には、わしとか、(多分)書物蔵さんが堪能したものである。
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ジュンク堂書店新宿店で2月20日(金)19:00〜内澤旬子×高野秀行×宮田珠己によるトークセッション『たぶん旅のはなし』があるらしい。