昨日の手塚治虫を見て思ったことあれこれ。
オタどんが「ライフワーク」という言葉に初めて出会ったのは、『火の鳥』であった。「手塚治虫先生のライフワーク(一生を通して追い求める作品・課題)である『火の鳥』」とかいう一節だったと思われる。その語感に魅せられた幼きオタどんは、作文などにやたら「ライフワーク」を使ったものである。オタどんは、漠然と大人になった時の自分のライフワークは何だろうと考えたりした。その後、手塚を「卒業」し、SFや少女マンガに走ったりしたオタどんだが、手塚が亡くなったときは、天皇が死んだ時よりも、「ああ、昭和が本当に終わった」と思ったりした。現国が苦手で、試験問題に使われる小林秀雄や天声人語を憎んだオタどんだったが、天声人語が手塚の死を取り上げた時は、「朝日新聞、よくぞやってくれた」と拍手したりした。
「ライフワーク」という言葉に出会ってから、ん十年も生きたオタどんだが、未だ自分のライフワークを見出していないようである。
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「猫猫塾」に負けじと、慶應が「福澤諭吉記念文明塾」を本格開講。「猫猫塾危うし!」と思ったが、ほとんど競合しないか。