従来明治44年12月開店の銀座店がパウリスタ第一号店とされていたが、正しくは同年6月開店の箕面店だったことについて、長谷川泰三 『日本で最初の喫茶店『ブラジル移民の父』がはじめた カフエーパウリスタ物語』(文園社)に書かれている。このことは、3月17日に紹介した。同書には、箕面市の職員が市役所所有の古い絵葉書の中に偶然「カフエーパウリスター」の文字を発見したことが記されている。やはり、絵葉書は重要な資料だと改めて確認できる。さて、同書によると、「なにしろ日本の珈琲業界の誰ひとり、箕面パウリスタが日本初の本格珈琲喫茶だったという事実どころか、店が存在していたことすら知らなかったからである」とある。実際には、箕面市の職員が発見したように、同年6月24日付け大阪朝日新聞や同年7月3日の大阪時事新報に開店に関する記事があったわけである。更に、カフェー研究者には比較的知られた文献のようだが、『建築と社会』の「レストランとカツフエー号」(12輯3号、昭和4年3月1日)所収の「レストラン、カツフエー座談会」*1によると、
B 明治四十二、三年頃に東京に出来たのが初めで、ライオンだとかプランタンだとか、それからコーラス*2当りだと思ひます。東京の方に、もう一つ純粋のカフエーで、パウリスタといふのがありましたネ。
(略)
C 南のパウリスタの建つた最初めは、製菓会社が箕面の公園に販売店を造つたが、それが失敗つたので、道頓堀に当時府会議員の某氏が金を出して始めたのが抑々初めてです。(後略)
箕面店が銀座店より前に開店していたことまでは書かれていないが、道頓堀店(45年1月開店)より前だったことがこれでわかる。製菓会社云々については、大阪時事新報に「元製菓会社の専務、渡辺益夫氏等は(略)今回カフエーパウリスタ合資会社を組織し、その第一着手として箕面公園停留所前にブラジル式の珈琲店を設け此の程より開業」とある。
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昨日の日経では新しい荷風像を探る動きを紹介していた。今夏、至文堂から20人を超す研究者の論文を収めた『永井荷風 仮面と実像』が出るらしい。なお、江戸東京博物館では、常設展示の「特集展示」として、「荷風と江戸、荷風と東京展」が開催中。21日まで。