神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

桑沢洋子が働いた神保町の喫茶店

桑沢学園創立者桑沢洋子さんは、神保町の喫茶店で働いていたことがある。桑沢の『ふだん着のデザイナー』(学校法人桑沢学園、2004年3月)によると、

私はどうしても東京にとどまりたかった。そこで一番先に選んだ職業は、神田の学生街にある喫茶店の店員であった。
この店は、当時の新劇俳優、前山清二(数年後四女の姉と結婚した人)の経営になるもので、十銭のおいしいコーヒーと、ランチ・タイム・サービスの安い一品料理とが、この店の呼びものであった。定員十五人という小さな店だったが、学生のほかに、嵯峨善兵、松本克平、松竹の舞台装置家木須孝など、前山氏の友人はじめ、遠方からわざわざやってくるその関係のファンも多かった。(略)
ここの私の労働時間は、十一時から夜の九時までで、昼夜二回の食事つきで、給料は十五円ということだった。
この勤めの他に、アトリエ社の編集部から内職をもらった。

桑沢が昭和7年女子美術専門学校を卒業した後の話である。桑沢はこの喫茶店で、桑沢のことを「ラ・メール」と呼ぶ東京美術学校彫刻科の学生と出会うのだが、店名は書いていない。櫻井朝雄『評伝・桑沢洋子』では、典拠は不明だが、この喫茶店は神保町にあったとされている。経営者と所在地がわかっているから、いずれ店名が判明するかもしれない。