神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

燕楽軒開店初期の状況

大正7・8年に燕楽軒で開催されたり、開催予定だった会合の状況をまとめてみた。

大正7年5月12日 本郷三丁目燕楽軒開業披露広告(同日付東京朝日新聞

    6月5日*1 龍土会(本郷四丁目燕楽軒)・・・徳田秋聲・岩野泡鳴が幹事。白鳥正宗、前田晁、長田秀雄、有島兄弟、江口渙(『徳田秋聲全集』別巻年譜、岩野の日記)

    12月14日 生方敏郎『一圓札と猫』の会(燕楽軒)・・・主賓生方、泡鳴、樗陰、林儀、孤蝶、達吉、澄月、馨一、京村、花外、源吉、山梨勝治、善男、本間榮吉、恒友、隆仗、吉川儀三郎、羽太鋭治、紅蓮洞、勅使川原豊、乙字、福田滋次郎、松宮寒骨、井伊鉦太郎、貢太郎、池田義信、灰色の鳩、清水彌太郎、謙(同月22日付読売新聞)

大正8年1月18日? 三土会(本郷燕楽軒)・・・久米正雄広津和郎、江口渙、菊池寛芥川龍之介、南部修太郎(小谷野敦久米正雄略年譜」)

    2月14日 福井江亭帰朝歓迎会(本郷四丁目燕楽軒)・・・(同月13日付東京朝日新聞

    2月15日 在京福島県学生会発会式(本郷三丁目燕楽軒)・・・(同日付東京朝日新聞

    2月25日 美術館建設期成同盟会(本郷四丁目燕楽軒)・・・正木直彦、中川忠順、黒田清輝、中條精一郎、塚本靖、川合玉堂、吉田博ら(同月27日付東京朝日新聞

    3月1日 葛西善蔵第一創作集『子をつれて』出版記念会(本郷燕楽軒)・・・主賓葛西、徳田秋聲上司小剣武林無想庵、中村星湖、相馬泰三、谷崎精二秋庭俊彦、広津和郎、福永挽歌、舟木重雄、安成二郎、中村武羅夫、生田春月、加藤武雄、水守亀之助、西川勉、永代静雄、光用穆、中村長作、葛西勇蔵(弟)(『葛西善蔵全集新輯』別巻年譜)

    4月19日 柳澤健送別会(燕楽軒)・・・柳澤、灰野庄平、山宮允、川路柳虹西條八十日夏耿之介福士幸次郎、生田春月、橋田東聲、山口歌子、北村初雄、霜田史光ら(同月27日付読売新聞)

    5月14日 桃青会発会式(本郷燕楽軒)・・・阿部次郎、沼波瓊音三木露風、灰野庄平、高安月郊ら(阿部の日記)

    5月22日 晩餐会(燕楽軒)・・・秋田雨雀、石丸、高須、片上、中村(吉)、本間、三浦関造、渡(新時代)、中尾(雄弁)、加藤(読売)、滝井孝作(時事)、中沢(静)、田代ら(秋田の日記)

    6月10日 室生犀星『愛の詩集』の会(本郷燕楽軒)・・・広川松五郎、田辺孝次、加能作次郎、小松玉厳、北原白秋萩原朔太郎、日夏耿之助、林倭衛、福士幸次郎、大井包高、河野慎吾、秋庭俊彦、中西赤吉、近藤義次、吉田三郎、水谷鉄哉、多田不二、川路柳虹、正富汪洋、加藤純之輔、佐藤惣之助、白鳥省吾、相川俊孝、相川松瑞、井上康文、恩地孝四郎、百田宗治、加藤一夫、富田砕花、河口弥三郎、清水弥三郎。閉会後芥川龍之介が現れた。(本多浩『室生犀星伝』。典拠は『感情』30号)

    8月15日 神田燕楽軒開業披露広告 表神保町南明倶楽部内(同日付東京朝日新聞

    9月3日 エスペラント会(本郷三丁目燕楽軒)・・・秋田雨雀藤澤親雄小坂狷二、望月(読売)、白木(萬朝)、小牧ら(秋田の日記)。同月2日付読売新聞によると、日本エスペラント協会からシベリアにおけるエスペラント運動視察やエスペラントによる日本紹介を試みるため特派された同会幹事藤澤の帰朝講演。

    9月27日 美術記者会(本郷三丁目燕楽軒)(同月23日付東京朝日新聞

    10月22日 日本エスペラント協会月例会の折に総会(本郷三丁目燕楽軒)(初芝武美『日本エスペラント運動史』)

    12月20日 日本エスペラント協会臨時総会(本郷三丁目燕楽軒)・・・小坂狷二藤澤親雄ら幹事、秋田雨雀ら会員(同上)

大正8年8月以降は、神田にも燕楽軒が存在するから単に燕楽軒とある場合、本郷か神田かに注意しなければならない。また、本郷三丁目の燕楽軒と四丁目のそれは別物なのか要調査。ところで、大正7年12月『一圓札と猫』の会の出席者「灰色の鳩」って、ナンダロウ?

(参考)「大正6・7年の久米正雄と燕楽軒の時代」(6月9日

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*1:年譜には6月との表記のみだが、岩野の日記に5日とある旨spin-edition氏から御教示を得ました。『Sym.』03龍土会特集(甲南大学文学部木股知史研究室、2010年10月30日)にあったとのこと。