神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

お札博士スタールのトンデモ山脈(その5)


スタール博士と小谷部の交流は、スタールの晩年まで続いたようで、『日本及日本国民之起原 普及版』(昭和8年1月)には、「有名なるスタール博士の書翰の訳文」が掲載されている。


固より日本民族の起りは希伯来のローストトライブの一であるといふことは古くからグレフスやシイボルトなど唱道して居るが貴下の如く一百余も典拠例証を挙げて明確に論破したものがない此意義に於て貴下は世界独歩の最高位を占めて居るものなるを喜ぶ願くは速に貴著を英訳して世界に提示せよ是即ち日本の神国たるを世界に誇り得べきものなるが故である余の名は欧米一般に知られ居るが故に或は貴著英訳のときに巻首に掲げらるるに於ては多少便益あらんかと考へ余の序文を同封して贈れり之を使用すると否とは貴意に任す終りに貴下の健康を祈る
 昭和7年(1932)11月4日 
 フレデリック・スタール
 米国シヤトル市35街

小谷部が竹内文献に確実に接触したと確認できるのは、3月3日に言及したように昭和10年だから、スタールの死去(昭和8年)までの段階では、小谷部と竹内文献は無関係だった可能性はある。もっとも、竹内文献を抜きにしても、ジンギスカン源義経説(大正13年)や、日ユ同祖論(昭和4年)だけで十分トンデモない人物だったわけだが。


(続く)