柳田國男は、スタールの第2回訪日(ただし、山口昌男『内田魯庵山脈』によれば、大正2年は第3回訪日)について、
今度は日本で又藩札の蒐集をしたいと言つて居る。妙なことに眼が留まつたものである。
と記している*1。
スタールのこの藩札の蒐集に影響を与えたと思われる人物に前田惇なる怪人がいる。
『お札博士の観た東海道』(大正5年3月)によれば、
食事の最中、前田淳[ママ]氏から、チリチリンと電話 十時半三條の橋へ行つたが、すでにわし等の去つた後だつたと言つた。氏は有名な藩札の蒐集者で、前の旅行の時に手紙を頂いたから、訪ねるつもりだつたが果せなかつた。で、今日の午後旅館で会ふ約束をした。
(中略)
氏の名刺は、古藩札の意匠によりて作られ「藩札狂」と書いてある。氏は西郷の小さな藩札一組をくれた、薩摩の叛乱に関係して発行されたものである。(中略)氏は該問題の通俗書に美しい図解を入れて、準備をして居るが、間もなく出版されることであろう。
自称「藩札狂」の前田とは、果たして何者か?
我々は、その名前をある事件に関する新聞記事で見ることができる。