神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

お札博士スタールのトンデモ山脈(その6)


酒井勝軍や前田惇とともに、昭和4年竹内文献を拝観した岩田大中の『人類之祖国 太古日本史』(昭和6年2月、平成2年10月復刻)にも、スタール博士の名前は登場する。


本文はお札博士として名高いシカゴ大学名誉教授フレデリツク・スタール氏が昭和5年10月19日「去るに臨んで親愛なる日本国民諸君へ」と題して東京放送局より放送したものであるが、其内容は傾聴に値するものがあるので特にここに掲載することとした。

(前略)
1904年2月、私は正午に横浜に上陸し、其午後東京に到着するや、日露戦争の号外発行を見たのである。当時私の用務は北海道にあつた(中略)
廃墟となれる東京市が其灰燼中よりフヰニツクスの如く生れ出でたのを見て感慨禁ずる能はず。寧ろコスモポリタンになつたことは遺憾である。私は昔の東京を知り之を愛した。如何となれば私は古への江戸の文化を愛して居るからである。私は復興帝都の広い街、舗装道路、鮮かな照明、明るき町を愛する。
(中略)
親愛なる日本国民諸君、今や日本を去るに臨んで諸君に希望することがある。諸君は光輝ある日本の伝統に忠実にして、日本国民の美徳を涵養せられ、日本文明の精華を発揮すると共に、米国のみならず、世界各国の長所美点を採用して、以て日本をして東亜のみならず、太平洋時代に於ける真の世界的リーダー(指導者)たらしむべく努力せられんことを切望して止まない。(笠井重治訳、国民新聞


スタール博士は、その愛した日本を祖国アメリカが焼野原にするとは思いもよらなかったであろうが、幸いと言うべきかスタールは昭和8年の来日中に急死している。


スタール博士は、上記の放送の中で次のようにも述べている。


日本の最も大いなる機会と最も大いなる危険とは満洲に横はつてをる。(中略)満洲の今日の発達と繁栄とは主として日本国民の熱血と日本国民の達見と、経綸と、努力と日本の資本と指導とに因れるや言を俟たず。故に日本が将来満洲から相当の報酬を期待すべきは当然である。


スタール博士の放送が、当時の日本人に好意的に受け取られるわけである。


(続く)



*昨日の記事で、八木敏夫氏が既に亡くなられていることに気づいていなかったので、追記した。